BACK TO "ANOTHER WORLD"
BACK TO "KARUGO WORLD"
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♪かるごとうなぎのふたりごと♪
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2001/12/13
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泣きたいときに |
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2001/11/15
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泣かないひと |
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2001/10/27
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恋する気持ち |
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2001/09/02
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カタチから気分 |
| 先日、チェンバロのレッスンのときに、なんとなく――ちょっと気に入っているまっしろのブラウスなんぞを着てみようと思い立った。かるごわーるどのほうで書いたけれども、それは、少しでもバロック気分を演出したくて、だった。 そのまっしろなブラウスは、どういうふうにもバロックバロックしているわけではないのだが、なんとなくお気に入りのデザインである。ふだん使いのものとはまた違う、「しろいブラウス」でもある。 そういった特別なものを着るという気分が、バロックのために向けられた。 チェンバロのおけいこも、気づけば5年くらい経つ。だからといって、めざましく上達しているわけではない。単に弾いてみたい、というところからやっと一段くらいは進歩したかもしれない。自分の無知ゆえに、そして想像力貧困のゆえに起きるレッスン中の愕然が、より多くなったから――つまり、「ただ楽しい」だけではなくなっている。ときには「ただ弾くだけの自分の表現のつまらなさ、至らなさ」に悔しい思いをするのだが、もちろん、プロを目指しているわけではないから、その悔しさのレベルはお恥ずかしい限り。それでも壁には違いなかった。 8月はレッスンの間隔も空いてしまったのだけれど、それはかえってよかったのかもしれない。 ただ弾いているだけでなにも読めない、見えないという生意気な悩みにぶちあたっていたのが、突然、あの時代の音に触れたくて始めたことだったよな、と初心に立ち返ったのだ。まっしろいブラウスを取り出して着て、多少なりとも雰囲気を出してみよう、と。 結果自体はちっとも満足いくものではなかったけれど、こういうカタチから入ることも気分転換になるのだと知った。どんな服装でも、演奏の心があれば伝わるもの――とは思う。が、相乗効果も生み出すかもしれない。 わたしは時々、演奏会のアーティストの姿を見て、あまりに華美な衣装や、シンプルすぎる衣装に対して、不満を覚えていた。が、それはわたしのイメージの押し付けであって、実現不可能な思い込みでもある。前もって言い含めるならともかく、当日行って文句を言うのは実にたやすい。 むしろ、その人の思いを汲み取ろうとする気持ちが、こちらに必要なのだ。 かるごにとって、チェンバロレッスンは気持ちだけではじめたことだった。相変わらず自分の解釈で演奏できるほど、「非常に没頭」なんてこともしていない。いつになったらそうなれるだろうか? その日まで、と思っているわけでもないのだけれども、今は続けていきたいと思う。 それが、チェンバロ、あるいは芸術の魔力なのだろう。 |
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2001/08/15
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「ありがとう」 |
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2001/07/06
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宇宙の中の自分 |
この一文に当たったとき、似たようなことを言うのが流行った時期があったのを思い出した。 |
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2001/06/16
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日記 |
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たまに書き付ける小さなメモノートが終わりそうになっている。 メールではいろんなことをまじまじ語るときに、そんなふうには思わないのだけど(それは言葉を選んで書くもの、と決めているからかもしれない)。 |
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2001/05/09
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勝つひと |
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「勝てるひと、っているよなぁ……」 「そうね……見込みはなく、負けそうだなと思っても、賭けてしまうな、わたしなら」 |
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2001/02/25えほんのこと
10年くらい前に始めたことだったけど、わたしはちいさなクロッキー帳でえほんをつくるひと。
「ぶん・はまなうなぎ/え・えすかるご」、で。
過去にいくつもいくつも、つくってはあげてしまっていたので、手元には白黒コピーのみ。
当時はカラーコピーがとても高かったので。
でも、いくつかやっぱりお気に入りのお話というのはあるもので、いつかこのコピーをもとに
つくりなおそうと考えていた。
*ほんとは30歳になったら、自費出版をする――という希望的な計画をたてていて、それは
そういう「ちょっとおきにいりのえほんたち」で、と思っていた。
見積もりの額におののき、ちょっとストップ。
ひょんなことで、先に出版の意志が固まってしまったのは『アイルランドのかけら』だった
けれども。えほんだってあきらめてないわよん。
ま・それはともかくとしても――先日、ともだちにあげるえほんをつくっていたときに(リメイク
だけれども) ふと好きな色って、ホントよくわかるなあ、としみじみ。
長年Faber Castel社の色鉛筆とパステルを使っているのだけれども、(寡作なので減らない)
どの色も、鮮やか過ぎるほどに鮮やか、というものではなく、どことなくニュアンスのひそむ
色具合なので好きなのね。
で、いつもフタを開けて感じるけど、やっぱり好んで使う色は減りが早いんだわって。
つくるえほんの内容というか、キャラクターみたいなものがだいたい似ているせいかも
しれない。
好きな色、いろいろ。
だいだい色と黄色の組み合わせが結構好き。
色の明るさとあたたかさが、ほんわり感じられるからかな。
あとは「空の青」。
いまだ納得のいく「空の青」を決めてはいないのだけれども、
空の青が好き。
そして、みどりいろいろいろ……はっぱとか、かえるとかが出てくるかしら。
たまごいろ。黄色より淡くて、白より黄色いの。弱々しいけどやさしいひかり。
くすんだ桃色。たからものとか、ぬくもりとか。
こうばしい茶色。土とか髪の毛とか。
ぶどう色。だいじなものに塗るかな。
高貴な赤。まだワンポイントにしか使えないでいる。
同じえほんをかきなおすにしても、たまには違う色をつかえばいいのに、と思う。
でも、できないの。
色に意味を与えて、色にメッセージをこめてしまっているからだろうな。
それがとっても「つまらない選択の方法」であったとしても、「単純で陳腐な連想」
であっても、いつまでもその色を使いつづけてしまうんじゃなかろうか。
この場面ではこの色でなくちゃ、っていうのがあるから。
色鉛筆でもパステルでも、色を選ぶとき、「その気持ちになって」塗るという楽しみが
あるから――だから、面白いことに、白黒でしかコピーをとっていなかったのに、
ちゃんと当時の彩色を覚えているのね。
たとえ10年前かいたものであっても、たぶん、あまり変わっていないと思う。
塗りの方法とか、色の選びとか。
それは、ことばによって補完されてアタマの中でよみがえってくるからなんだろうね。
白黒ゆえに、かもしれない。
――と、ささやかに言いながらも、出来はいつだって、ちょいと粗雑なんだけど。(^^;;
だって、「思いついたらすぐできなくちゃイヤ」なんだもの。
でも、気持ちだけは、ココロだけはちゃんとこめてかいてきたよ。
そして、今、久々にかいている。
ので、こんなどうでもいいことをつらつら綴ってみたくなったのだった。
えほんは、ことばを絵が補い、絵をことばが補う。
よくばりなわたくしは、いいえほんもかけたらいいなと思う。
絵の巧拙は別としてね。