BACK TO "ANOTHER WORLD"                          BACK TO "KARUGO WORLD"




2002/10/03
 「携帯(ケイタイ)」一考

 「携帯電話」を「携帯(表記ではケイタイ)」と略して久しい。
最近になって、これはもはや略称ではないのだ、と、 いまごろ、ようやくそんなことを考えるようになった。

きっかけは、先日充電器の故障で本体も預けることになり、代替機を持ったとき。
(持たなくても よかったな、と今では思うので、次回からはよっぽどのことがない限り、
代替機は借りないことにする)

さて、その代替機を借り受けるとき、「旧型なので、E-Mailはできますがロングメールはできません」と言われた。アドレスは有効だけれども、文字数に制限ができるという。
メーカーも機種も違うので使い勝手もわからず――もともと親指一本で文字を打つことがニガテなので(キーボードになれているせいか)メールはメンドウだと思っている――なので、それならば使わなければいいんだ、と決めた。
実際のところ、携帯メールがなくて不便なんてことはないし、たかだか数日間 のことだし……と考え、「じゃあ、パソコンのメールアドレスからそういうふうに連絡するか」 と思いついたところで、ハタと気づいておかしくなった。
これは、電話なのに?
電話がかかってきて、かけられる機能があれば、それでいいものじゃないのか?
なのに、メール機能が不可分な、あるいは不可欠な機能であるかのように、 「携帯電話」を扱っている自分に、おかしくなった。

そして、また別の日。
台所で充電していた携帯から着信メロディが流れていたよ、と言われる。
見に行くと、土曜に会う予定の友人からだった。不在着信になっていて、 留守メッセージは入っていない。
今しがたのことだし、とコールバックしてみたら、 「ごめん、間違えてかけたみたい」 。

台風で電車が遅れているよ、と会社の同僚に駅から電話を入れようとして、 メモリダイヤルから相手を選ぶときに、間違えてしまったらしい。
たまにあるね。たしかに。
じゃあ、ついでに土曜のことを決めてしまおうかと口を開きかけたら、 「土曜のことはまたメールする」と切られてしまった。
電車に乗る時間もあるだろうし、たしかに急ぎのことではない。
けれども、なんで「またメールするね」なんだろう。
ふと素朴に疑問。
「また電話するね」でもいいし、単に「連絡するね」でもいいのに、 なぜか「メール」という指定なのだ。

PCにしろ、電話のものにしろ、メールは時間に関係なく相手に送ってよい という点では便利だ。こちらが夜中に送ろうが早朝に送ろうが、そのことで 相手に文句を言われることはほとんどないだろうから。
でも、この場合はそういうことではなかったように思う。
今、ちょうどこうしてことばを交わせているこのときにではなく、また、あるいは別の日に「話す」のではなく、同じ道具で「メールする」となるのは、どうしてなんだろうか。
もう電話が主ではなく、メールのほうが主なのだろうか。

考えなくてもよいことを考えているような気がしないでもないが――考えれば考えるほど、この「携帯(ケイタイ)」は「携帯電話」の略称では なくなったのだ、と感じる。
我々が携帯しているのは電話だけではないから?

たとえば、電卓がある、アラームを鳴らせる、という機能は、「電話」も できるけどこれもできるよ、というちょっとしたオマケ的なものだった。 しかし、メールができるようになり、インターネットにもアクセスできるように なり、画像を撮って送受信できるようなり……それはたしかに「電話」という 通信機能が基本にあってこそ可能な機能であるけれども、その役割に対する期待(というか依存度)は電話と同等になっていると思う。
携帯しているのは「電話」である、などという意識は薄れていき、それだからことばの上でも単に 「携帯(ケイタイ)」ですんでいるのではないか。
「携帯(ケイタイ)」はもはや何かの略ではなく、それひとつで名詞になっているのではないか……?

ということは、「携帯電話」ということばはいずれ、死語的な扱いになるのかも しれない。 そんな結論に至った今ごろである。

そういえば、マナーもいっしょに携帯してくれ、みたいな注記がされている広告を見かけたことがあったが……小さな機械にいろんなものが備え付けられて いるということなのだ、などとしみじみもしている。


PAGE TOP

2002/09/24
 「沈黙の村」から  *一部の友人にはメールで同内容を送った

 

ニュースをちぴっと見たら寝よう@"なんて思って NHKを見ていたら、「沈黙の村」というドキュメンタリーが始まって、つい気になって見てしまったら、目が冴えてしまった。

ポーランドのイエドバブネ村というところ、1940年に村に住むユダヤ人400人余りが虐殺されたんだけど、その実行犯がナチスではなく同じ村に住むポーランド人だった疑いが出てきたのだと。
それについて、国の機関である「国民記憶院」が行った半年間の 調査のドキュメンタリーだった。

つらいだろう。
自分の親が戦争犯罪にかかわっているかもしれない。
それまで被害者だったポーランドが、加害者でもあった――という疑いを突然知らされ聞き取り調査が行われてしまった村人の戸惑い。
なぜうちの村だけなのかとか、うちの親が?とか、いろいろ居心地の悪さとか、不快があるだろう。

当時を知っている、あるいはかかわったと考えられる村人で生き残っているひとはたったひとりで、虐殺を行ったことを当然否定しているけれど――出てくる物証と食い違ってしまう。
逃げ延びたユダヤ人の証言、目撃者としてのポーランド人の証言、出てくる遺体の数――どれもこれも。
60年前という長い隔たりを調査するのは難しい。 ユダヤ人の証言に誇張がないとは言えないし、ポーランド人の証言に しても――どちらが真実か、わからない。

でも、調査はやりとげられた。
国民記憶院の調査報告では、村人がそれまで学校で教わってきたように、 「犯人はナチス」ではないと明言される。
動機は?というと、密告者に対する復讐だった、と。
ソビエト支配時代に、多くのポーランド知識人もシベリア抑留させられたんだけれど、その密告者がユダヤ人であった、という噂があり、その怒りからくる復讐のための虐殺。

でも、実際の密告者リストは、ユダヤ人の数はほんのひとにぎりで、ほとんどはポーランド人だったのだそうだ。
けれども、現実として冷静に判断できる「知識人」層が、村から連れ出されてしまっているので、噂に扇動された村人たちが暴走した、 というのが真相のよう。

自分の父親が首謀者のひとりであるかもしれない、という疑いを 捨てられず、独自に調査をはじめる息子(父親は6年位前に死んでいる)の姿もとりあげられている。
国民記憶院の発表後、自分より年上の同じ村出身の友人から(政府からの公式報告が出るまでは「お前の父親はいなかった」と断言していたのだけれど)、 「お前の父親も現場にいた」と知らされる。
彼は真実を知ってなお調査を続けるんだけれど、それは、自分の子供と 同じ年頃の子供たちをユダヤ人だからという復讐のためだけに、殺す理由がわからないからだ、と。
この答えは見つけられないかもしれない。納得できるような答えは。
でも、そうしないではいられないし、したいんだろう。
この苦悩はどれほどか。

「これまで被害者としての立場だったポーランドが、加害者でもあったということを公に、世界に対して認めた瞬間だった」――というような ナレーションが入ったけれども、たしかに、とてもおそろしい“成果”で、踏み出された第一歩。
これで、この村だけでおわらないであろうことだから、だ。
そう、このあとの調査で、イエドバブネ村以外にも、10数箇所の村で同じ ようなことが行われていた疑いが出てきているという。
ただ、それを同様に調査するのかどうかはまだ決めかねているとか。
パンドラの箱をあけてしまった、ということなのだろうか?

イエドバブネ村での首謀者のひとりと疑われ、唯一の生存者であるおじさんは最後に、
「わたしにはどうでもいいことです」
とインタビューに答えていて、
「自分の残りの人生も短いし、妻の世話(病弱なの)で精一杯で、 ほかのことには興味がもてない」
と微妙な笑顔を見せた。
ああ、こうして真実について永遠に口をつぐむひともいる。。。。

時間の経過は関係ない、って村人の様子を見て思う。
自分の親が戦時中に犯した罪が明らかになって、いいことはなにも ない。
逃れようのない事実だけれど、自分はなにも知らないのに、 罪の意識だけは背負って(あるいは背負わされて)しまう。 がっちりとね。
いつ解放されるのか、どう償えばいいのかっていう、時効も決まりもない。

また、他の村がもし同様に調査されたとして、これまで「被害者」として ひとつにまとまっていた国だったかもしれないポーランドの中で、 不信と不和が生まれることにつながるのでは、とも感じてしまう。

公式発表後、当のイエドバブネ村では 「ユダヤ人は他にもあちこちで 殺されている。うちの村だけ取り上げるのはおかしい」とか 「ユダヤ人たちに復讐されてしまう」とかいう声があがっていた。
たしかに、感情的にはそうなる。
自分には関係のない過去のことで、自分たちの現在に危機が及ぶなんて。
国全体の潔さや、過去の清算なんかよりずっと切迫している、生活のかかった不安であり心配……。
どうなっていくんだろうか、ポーランド。。。。

これを見ながらもつくづく思わされたが・・・・戦争においては、単純に 「被害者」「加害者」と二分されることはないはずだ、って。
日本もときどき被害者面をするけれど、(今回の拉致疑惑もそうだけど) 非人道的なことを日本は朝鮮にしなかったのか、といわれたら、 どうなんだろう。
なんかの「根」が過去にあるはずで、「そんな北朝鮮にだれがしたと思うのか」とか、「そもそも北朝鮮ができたのはなんでだ」、と徹底的に責任追及して遡られてみたら、日本は確実に加害者のひとり、首謀者では?

日本は、国全体として、戦争についてはできるかぎり口をつぐんでいてもらおう、という態度をとっているのでは?
「時効」ってことをすごく前面に出しているように思う。
時間が経てば証人(関係者)は死ぬ。死人に口なし。 ムリに波風立てなくていいじゃない、平和でいようよ、みたいな。
でも、そのツケを払うときがやってきたとき、その責務を負うのは当事者ではなく真実を知らない世代。
ならば、事実を知らせなくちゃいけないんじゃなかろうか。

この番組がとりあげたのは、ポーランドのひとつのちいさな村から起きたポーランドの事件だけれど――ひとごとじゃないかも。
日本だけじゃない、戦争経験のある国、侵略経験のある国には すべていえることかもしれない。。

ポーランドの「国民記憶院」という機関は勇気ある行動をとった。
けれど、将来どういうふうに国の記憶として建設的にとどめるのか、 とどめられるのか。

なんかいろいろ考えてしまう。
ポーランドの戸惑いや、公的に罪を課せられたイエドバブネ村にも気持ちが動くけれど、それだけじゃなくて、自分の足元さえ見直したくなる。

……なんとなく、そういうわけで自分にとって「すごい番組」だった、というだけなのだけど、直接日本の歴史とか、日本のかかわった事象だけを見据えるのでは なくて、よそのことから比べて考えさせられることがあるんだね。
でも、見てよかったと思う。


PAGE TOP


2002/08/05
 Bookmark


「海辺の家」 という映画が今公開中である。
これは今年の3月、ソウル-ロンドンのフライトで見た――Life as a Houseという原題だった。
あらすじを読んで、ありきたりっぽい感動モノかな、と思った。
が、ちょっとヒマになったので、ながめてみることにした。
これがまた、まったくバカみたいに、ほんとにボロボロ泣きながら見る羽目になった。
ほかにも映画はやっていたのに(パーソナルテレビだった)、そればっかり見て、そして、
いつも同じところで じわーっと泣いてた。

で、気づいたんだけど――飛行機の中で映画を見るときは、たいてい同じのを繰り返してみている。 思えば、「オーロラの彼方へ」――原題を忘れてしまったが――も、そうだった。
感動して泣きまくったわけではないが「恋する遺伝子」――これも原題を忘れてしまった――もそうだったなぁ。
違うチャンネルにすることが、あんまりないのか。
変えても、つまみ食い的に見ればいいやーと思う。 おもしろくないなと思ったら、結局さっき感動したやつに戻って、何度も見てしまう。

では、地上の映画館でそんなことしているかっていうと、していない。
なんだろう。

あ・でも、またここで今気づいたけれど、そういえば本も、感動したもの・好きなのはやっぱり繰り返して読むことが多い。 そして、同じところで感動したり、同じように感動したりする――あるいは感動したところばっかり、その前後を行きつ戻りつ読みかえすこともある。
なので、そういうふうに「お気に入り登録」(頭の中で)されているものがいくつかある。

読むクスリ・見るクスリとして使っているのだ。
「感動したいとき」「なんだかちょっと泣けてみたいとき」がふとあるんだけれども、そういうストックがあれば、たとえばそれが本なら ひょいと手にとって、「感動」したり「泣けて」みたりできるから。
あらかじめわかっていれば、それを拾い出すことはなんて楽だろう。

今日はこういうふうに泣きたい、こんなシーンで泣かされたい――と思ったら、映画にもそういうストックが必要になるね。
でも――映画館で見て泣きまくった「フィオナが恋した頃」はビデオも持っているが、あの気持ちをもう一度あじわうのは辛すぎる。
そういうのも、ある。

しかし、泣きたいときに、泣かせてもらうために、本なり映画なりの助けを必要とするなんて?どうなんだろうね。
今はそれでも、やはりそうしてしまうことがまだ多い、コドモな自分である。


PAGE TOP

2002/08/05
 「かるごのつぶやき」の言い訳


自分ではなかなかそうは思わないのだけれど、「かるごのつぶやき」でかなり行動が読めるらしい。行動、というより、精神状態ではないだろうか。
ある種公の場であるから、もっと軽く書いたほうがいいのか?
見知らぬ読者にはどうとも受け止められないかもしれないが、見知った人は読んで不快に思ったり、疲れてしまったりすることがあるかも しれない。
もしかして、あの出来事か?などと推測できることもあるだろうから。

いずれにしても、あまりに私的で具体的には書けない事柄や、ひとつ特定できるような事件・トピックを書くわけにはいけないときは、やはりあいまいになってしまう。自然に。
その出来事に対しての 自分の精神状態しか描写できなくなる。
なので――たしかに、わたしがあまのじゃくであるとか、落ち込みやすい人間であるとか、そのわりには肝心なところが抜けていたり、ノウテンキでも楽天的でもあり、忘れっぽくもある、等等という人物像がより克明に浮かび上がってくるのかもしれない。
その意味では「あからさまにかるごが伺える無防備な日記」と言えなくもない。
(が、ねっとかるごわーるどの読者さんと実際に会うことがあったりすると、どうやら文面のイメージと違うらしいので、ならこのままでかまわないわね、と思うんだよね)

実際、
自分のそういった精神状態(というとちょっと大袈裟だけどね)を、どうつづるかについては、逡巡も抵抗も感じることがある。
どこまで書けば伝わるか、あるいは、伝わらずにすむか?

書くことで消化したいだけなのである。
解決を読み手に求めているのではない。欲が出たときはせいぜい「このケースについてちょっと語ってみない?」というような気持ち。
ほんとうは、「そのまま」ではなく、もっと違う形で書き表すという――たとえば物語化するとか―― ことができたら、“昇華”なんだろうけどね。
そんな崇高なことができないから、「かるごのつぶやき」なんである。


PAGE TOP

2002/07/29
 生きる行動

 

先週だったか――教会の帰りに見た光景。

ひとつのエサをめぐって、カラスとオナガドリが争っていた。 バッサバッサと空気を揺らすようなカラスの羽ばたきと、ギャァギャァという両者の鳴き声は、家のそばの道路に入ったとき、頭上から聞こえてきた。

帰ってから、オナガドリもカラスの仲間だと母から聞いた。
なるほど、道理でオナガドリのほうも鳴き方が不器用な、汚いようなわけだ。

で、戦いは……。
体の大きさからいえば オナガドリはひるんで、あきらめてしまいそうなのにね。
あきらめていない。
奪われたエサを取り返そうと、威嚇の声を上げて追いかける姿は、なかなか見ごたえのあるものだった。
ギャラリー的なカラスも、電線に何羽かとまっていたけれど、 でも手出しはしていなかった。一対一、の戦いみたい。
追いかけてはかすめ、上昇したり急降下したり、互いの動きが鮮やかでも鋭くもあり――。
夕食のかけらをめぐって、争っているのだ。へええ、と感心しながら 見上げて歩いた。

ふだんカラスがゴミをあさっていても、なにも感じない。
けれども、こういう光景には、「生きるための行動」を感じる。
命のために、能力を――この場合は飛びかい、鳴き声で威嚇したりということだが―― ふるって、行動するんだなぁ、と。

なんとなく、「人間」はなんと選択肢が多い人生なんだろうか、と思う。
カラスたちに比べて良し悪しを測って言うのではないが、命のためにどれだけ必死に能力をふりしぼっているだろうか?
ふりしぼらざるを得ない状況で生きている人が、どれだけいるのだろうか。

少なくとも、わたしはあんなふうに必死になったことが、まだない。


PAGE TOP 

2002/07/17

 「口のきけないひとびと」

しかし、まぁ、最近のコは――などと年寄りじみた発言であるが、今日はひとつ監督代理で行った試験会場での話。

ひとりケイタイを机に出したままにしていて、それだけならまだしも、なんと使い始めた学生がいた。試験を受けるときの常識、というのがないんだろうか?
見れば、試験についてもろくろく考えているふうでもなく、どうもカンニングのためとも思えなかったが、試験時間中であることには変わりがないので当然注意した。
そしたら、悪びれるどころか非常に不服そうに、テストの道具一式を裏に返して(カンニングではないというアピールかどうかもわからない)、一応はバッグにしまった。
その後、ちょっとはプリントをながめたり考えているようなふうであったけど、いっこうにペンをとるようすもない。
ま・白紙であろうがなんだろうが、かまわないのだけれども、と思って教壇に戻った。
そしたらなんと、机の上を片付けて黙って出て行ってしまった。
試験を放棄したわけである。
ビックリ!

実際、回答しようがなかったのだろうし、注意されたことだけで放棄したとは思えないけれども、それにしてもアッサリしたもの。なにも言わずに去るとは!
はぁ〜、常識を超えている、とあきれた。
どうせ0点なら、いさぎよくそう書いておけばいいものを。「勉強不足で回答できません」とか。

口をきけないひとびと――これは、一心不乱に電車の中で、ケイタイで黙々とめーるを打つ人たちを見かけると思いうかぶフレーズなのだが――教室でも薄ら寒い思いにとらわれてしまった。

大学生がこれならば、中高生は推して測るべし。
事実、今教会学校でも、「自分のことばで考えること、表現すること・自分が他人の身になって考えること」ができないんじゃないか、と感じることがしばしば。
国語の授業はいったいどうなっているんだろう?
出席をとるとき、お返事くださいと言ったらば、声を出さない学生が多くいた。
「いらっしゃらないですか」とペケをつけようとすると、「あの、います」と言う。言わずに、手だけがんばって伸ばす人もいる。不思議。
「はい」の一言を大勢の中で言うことができなくなっているのだろうか?
一年生だから???

最近、大学のレベルが下がっていくことに傷ついている学生もいるが、下げているのは学生自身でもあるのだということに気づいてほしい。「わたしはこんなひとたちと勉強したくない」と言っているコたちの半分は、自分のそのプライドを満足させるためだけの勉強さえ、していないと感じる出来栄え。
結局自分のクオリティをどう保つか、より向上させるか、わかっていない。
正直言って、腹が立つこともある。

これは、卒業して何年も経つから言えることだ、一期生だからそう言えるのだとか、 と言われるかもしれないが――が、しかし!!
大学は、先生や事務員が作りあげて、なにかを提供してくれるという一方的なものではないはず。学生自身も参加して作っていくもの、なんだと思う。
大学は「お客さまは神様です」的なサービス業ではないのだぞ。

不満があるならちゃんと声を上げていってほしい、そうして、自分のイメージの大学に近づけていってほしい。
幸か不幸か、女子大。自分で主体的に行動しても、「これだから女は」とも言われないし、リーダーシップをとれるチャンスも多い。 (とりたくないひとはそれでもいい)
女子大だからこそ、今しかできない(かもしれない)自己主張、があるはずなんだよね。
それが、どんどんこうるさくなっていくお年頃お先輩からのお願いだよ。。。とほほ。


PAGE TOP 

2002/06/27

 「よりかかる」

 帰りの電車で、ちょうど空いていた席に座った。いまどきな女子高生の隣だった。
 彼女は最初から寝ていたのだけれども、わたしが隣に座ってからも、こっくりこっくり、
 とうとう腕によりかかって寝てしまった。
 彼女の頭の重みを感じながら、とくに不愉快とも思わずそのままにしていた。
 自分も、そうやって人々に迷惑をかけてきたことがある、と思ったら、なかなか邪険には
 できないもんである。

 とはいえ、つい最近、和服の妙齢の女性が、寄りかかってきたティーンに対して、
 「すみませんが」
  とキツイ声で、肩をいからせ隣人の頭を汚物のごとく振り払ったというシーンを目撃
 したことがあるが、自分は単に邪険にすべき勇気を持ち合わせていなかっただけかも
  しれないとも思う。
 
 が、今日のかるごはほろ酔い加減もあって、あまりカリカリしていなかった。
 むしろ、一度彼女が目を覚まして、非常にあわてて
 「ごめんなさい……!!」
 と言ったことで、すべてはゆるされたというべきか。
 「ごめんなさい」
 ――このひとことで、どれだけ人は“溜飲を下げる”ことができるだろう?
 個人差はあれ、ずいぶんな効果があると思う。
 
 それに、ふと感じた。
 わたしは本質的に“よりかかられる”ことが好きなのかも知れない。
 四人きょうだいであるせいか。
 なんともいえないけれども、こうして人に素直にすべての重みをかけられるというのは、
  なかなかできないと思っているだけに、感服する。
 
 強情っぱりで、みえっぱりだから、たとえ根が素直で正直だったとしても(え?)、
 それはなかなかあらわせないことが多いんだと思う。
 きらわれもし、好かれもする理由のひとつかな。
 今日よりかかってきた女子高校生のような「ごめんなさい」がいつでも言えるとは、
  思えないけれども、そのことには価値をおく。
 友人としてはまぁ許される人間性だが、 たとえば「恋人」としてや「家族」としては、付き合
  いにくい、暮らしにくいタイプではないかと思う。
 「あずける」ということができないのだ。なかなか。なかなか。
 
 なので、ときどき、 こうやって電車で何の気なしによりかかってくる――あるいは、
  そのことで「ごめんなさい」と言えるひとたちを、うらやましく感じることもあるのだなぁ。


PAGE TOP 

2002/03/27

 「写真」

3/24に日本アイルランド協会の「セント・パトリックス・デイの集い」に、写真を展示した。
額装写真は2年ぶり。(去年はアルバムだけだったし、しかも本人不在で母に店番を頼んだくらいだった


隣に、モノクロ写真を撮りつづけている渡辺さんという女性カメラマンの作品が並べられていた。
「同じ場所」に立ち寄っていても、撮るものが違うということがわかって、おもしろかった。
たとえば、ディングルというひとつの場所でも、同じ場所をまわったりもしているのだろうけれど、知らないディングルがとらえられている。

2枚、ほしいと思った写真があったので、申し込んだ。
後日メールで詳細をいただいたのだけれども、その中に、「私は個人的にアイルランドにはモノクロが似合う気がして、今のところモノクロ写真 中心ですが」という一文があった。
なるほど。
昔と変わらないものが、そこにあらわれてくるように感じる。 写るものはたとえ現代の一こまであっても、写真が自ら語リ出す、とでもいうような。
ことばのいらない、伝わる写真。
「モノクロ」というノスタルジックな雰囲気のせいかもしれないが、被写体がたとえ現代のモノであったとしても、そこにとじこめられるに至るまでの「歴史」を感じるのだった。
視点とそこから浮かび上がってくる歴史――ああ、これが「写真」というものかもしれない、と刺激を受ける。

といって、自分はそういうものを目指しているわけではない。
わたし自身の写真はどうかというと、終始一貫、愛しいアイルランドを旅する人間の目でとらえたものに過ぎない。過ぎない、というと卑下しているようにも受け取られるけれど、その視点で撮りつづけたいと思っている。
単純におもしろい、きれいだ、なにかを感じる、と思ったところでシャッターを切る。
見たままに撮りたい、 見たままに、いいと思った状態で撮りたい――それだけ。
技術も根性もないけれども、でも、気持ちだけはいつもその「撮りたい」と思ったものにしっかり向いて、撮っているつもり。

そういえば、昨年、弟part2に「お姉ちゃんは楽しんで撮っているよね」と言われた(ほかにどこかで書いたかもしれない)。これはとてもうれしいほめことばだった。
また、今年、イベントのときに中大のケルト講座でもお仲間の方から、
「伝わってくるわよ、あなたの思いが」と言われて、とてもうれしかった。(ちょっとほめられるとかなり舞い上がるタイプでもあるので)
ふくろうの本(『図説アイルランド』)で写真を担当したという先生とも、少しおしゃべりできた。
コンパクトカメラで撮ったと聞いて、ちょっと驚かれたようだけれども、アイルランドはわりとそういう国であるかもしれないね。ほんとうに、フォトジェニックな国。

ここ数年、特に思う。
写真は巧拙に関係なく思いがこめられていれば、それが自然と伝わるものだ。
「このひと、いいと感じているな、好きなんだな」、ってことが伝わるなら、こんなにうれしいことはない。そう言われて、単純なわたしは有頂天になり、いい気になって、また恋しいアイルランドのすてきな部分を「記録」にしたくなる。
ずっとずっと訪れていきつづけたい、撮りつづけたいと思うけれど、これは 「アイルランドに片思い中」であるせいだ。
大好きなものを、大好きだと思ったとおりにとっておきたい。それが、見てくれるひとに少しでも伝わるといいなあ。
そう、いい写真を撮りたい、というよりは、すてきなアイルランドを撮りつづけたい。

そういうことがはっきり意識できただけでも、渡辺さんと出会えてよかった。
すてきな人との出会いはいつでも、どういう形であっても、いい刺激。
わたしも、自分らしい表現をしていけたら、と思う。

PAGE TOP 

2002/01/21

 「待」

「去年一年を漢字一文字で表すなら何?」と聞かれて――ぼうっと思いついたのが、
『待』の字。(こうしてみると「サムライ」に読み違えてしまわなくもないなあ)

「なにを待っていたのだ、男か?」とはじまり、そこから話がそれてしまったので、なぜ『待』という字が浮かんだのかという話は、そのときはそれきりになってしまった。


さて、では、いったいなにを?

ひとつは「機」を。
なにごとについても「機を伺い過ぎた」。これはチャンスを狙った、ということではなく、自分にとってこれがチャンスだ、と信じる力がなかったという意味。
先読みしすぎて足がすくむこともあった。
よりよい運を待ったわけではなく、よりよく決断できる自分の気持ちを待ちすぎたような
気がする
どの場面においてもそうだったと思う。
思い切りのよさが足りない、よくやった、と自分で納得できたことが少なかった。
だから、こう種明かしをすると、実は『待』という漢字は正しくない。

ふたつめは「返答」を。
結果を、と言い換えてもいいかもしれない。
自分ではそれなりに投げかけたと思っていたことが、年月経ても回答あるいは解決を得られないということがあった。その都度「人」「ものごと」に対して
失望したが、自分の単なる見込み違いであったと反省させられることも多々あった。
この世がわたしのために、わたしの都合のいいように動いてくれるわけではない、という、実にあたりまえのことを忘れてしまっていたから。

今年は、少しでも飛躍したいという思いをもって始まったが、果たしてどうなるかな。
自分のことは待ちすぎることのない一年にしようと思う。


PAGE TOP 


2002/01/03

 初夢語り

昨年末、友人からいただいたクリスマスにいただいたおたよりに、「2002年の計画」が書いてあった。
心変わりをするかもしれない、ちょっと先のことはよくわからないけど、と但書きがあったけれども、そう言うときはたいてい、だいぶしっかり決意しているんだと思う。
優先順位は何をおいてもまずそれが第1、と決めていることだろう。便箋、というかA4程度の白い紙の両面に書かれていたものを読んでいて、なるほど夢を聞くのは気持ちがいいものだなあ、と感じた。

以前、自分もどうしようもないような夢(かるごどりーむと名づけられている計画)を
勢いよく書きまくったことがある。
今思うとなんであんなに夢中になって語ったのか、よくわからない。今でもその計画は生きているのだけれども――あんなふうになぜ勢い込んで書いたのか。
が、それを読んだ一人の友人は、「夢の話を聞くのは気持ちのいいものですね」と書いてきた。やけに洒落ているから、 社交辞令と受け取るべきなのかもしれない。事実、そのときはちょっぴりそう感じたのではなかったか。
が、どうだったんだろう?

少なくとも今回の友人の夢は、聞いていて応援したくなってしまったし、それまでのいくつか些細な気持ちのめぐりを知っているからよけいに、かもしれない。自分の捨てられない希望と願いのために、歩みだそうという思いが伝わってくる――「自分」が動かなくては意味がないこと、「自分」でなければできないことがある、と感じる。
彼女のそんな気持ちの伝わる手紙に、こちらもまた励まされるのだ。 自分も動き出したい、覚悟を決めて踏み出さなくては、と思わされる。

2002年の元旦、彼女を思い出し、祈る。
夢がかないますように。


PAGE TOP 

2002/01/03

 年賀状

妹が年賀状にうなされている。
あんまり書きたくないようだ。年賀状のねの字も聞きたくない、というふうに、落ち込んでいる。珍しい。
「かるごデザイン」を使って作ってやったのだけれど――あとは住所とひとこと書けばいいだけなのに、だいぶほったらかしにされていた。

元日などは「なんでみんな書くんだろう、なんで送るんだろう」 とぼやいていた。
そう、なんで送るんだろう?
年賀状作りはどこか義務的でさえある、まるで宿題のようだ、と妹は言う。
そうだねえ。
自分もたしかにそういうふうに感じているところがある。

以前、中学時代の同級生が「年賀状を一切出さなかったら5年位かかってようやく、一通もこなくなった」と言っていた。それで気楽になった、とも。いつか真似したい、と感じるより先に、人はやはり返事を求めて出しているのか、と妙に感心した。
年賀状はそれだけでも人に慰めを与えているのかもしれない。

話をもとへ。
面倒
なら送りたい人にだけ出せばいいんだ――いや、その線引きが難しい……などと煩悶しては、去年の年賀状を取り出して宛名を書く。
が、いずれにしても、儀礼に忠実な人間ではないわたしは、ぎりぎりまで用意しないでいる。自慢じゃないが、クリスマス前に準備したことなどない。郵便局にはご負担をおかけしているのかもしれないが、
従って消印つきで元旦に届くか、元旦には確実に届かないか、のどちらかの結果になる。
そういえば、元旦に届かないことで文句を言われたことがあるけれども、そのひとからの年賀状をもらったときには、こちらがどれだけ時間を削っているか知ってもらいたいもんだ、などと思ってしまった。

そう。
年々、印刷屋に頼まずともそれなりのものを作れる時代であることを感じる。あらゆる意味で作成コストはだいぶ軽減している。が、もらってうれしい年賀状は減っていると思う。ぱらぱらっとめくっておしまい。
自分の賀状もそういう目に遭っているかもしれないのだけれども、結局のところ作業を厭いながらも自分が毎年、賀状を出しつづける理由は、そこにあるかもしれない。
正月のテーマはつまり、「目指せ!もらってうれしい年賀状作成!!」なのである。

年賀状について脱マンネリをはかるなどというのは無意味なのかもしれないが、
考えるのが好きだ。うまくいくいかないとにかかわらず、デザインを考えること、それを作ること。
反応は年々薄くなっているけれども、賀状の稚拙な出来栄えのせいばかりではないと思う。 みんな受け取りたいけれど、送ることは苦手になってきている。
そしてこれは、年賀状ばかりに言うことではないのだ。

PAGE TOP 


ANOTHER WORLD TOP