KARUGO WORLD-MEMORIES2
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「2000年5月の回想」を読む?

「1993年4月のおせっかい」を読む?

「1998年7月のクリスタル記念品」を読む?
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「1993年6月の現実逃避」を読む?


2000年5月12日(金)にふと思う


かるごは特別生き物好き、ってわけじゃない。
うちの母はけっこう好きで、よそのみかんの木からアオムシを拾ってきては、
家の中で蝶になるまで置いておく、という妙なことをする。
それで、アオムシを自分の木にたかる害虫としてせっせと退治しまくってた
近所のおじさんに、「アンタが増やしていたのか」と言われたことがあるらしい――。

かるごは、昔は犬がダメだった。今の家に越してから、大丈夫になった。
猫は好きで、たいていの猫もかるごを好きになってくれるらしいが、
アレルギーもちである。目がかゆくなったり、くしゃみ。
でも、最近は調子が悪いとき以外はひどくならずにすんでいる。

だが、犬も猫も、こういうメジャーな生き物は飼ったことがない。
今までにうちで飼った生き物は、鳥と魚。
今日はそのうち――たった一匹の魚のことだけ書いてみる。

みなさんは、結婚式の二次会のおみやげに、魚をもらったことはあるだろうか?
もちろんペットとしての、魚。ナマモノには違いないが、食用ではなく。
あけてびっくり、瓶の中には小さな小さな熱帯魚の一種、とやらが――。
金魚ではない、メダカでもない、まったくそういうことには疎いかるごには、それが
いったいどんな立派な図体に育つものなのか、さっぱり想像もできなかった。
煮干しサイズの小さな魚。

『アカヒレ』――添付のえさを一日に数回、水質安定剤も忘れずに……
なんてことが書いた紙一枚。

「添付のえさ……? 水質安定剤??」
帰りの電車の中で、真っ青になった。 かるごのだけ、何も付いていない!!!!
「どうしよう。このままでは死んでしまう……」
今なら、そんなすぐに死ぬか?と冷静に対応できる。
でも、当時は、見たことも聞いたこともない『アカヒレ』が、もらった翌日飢死!?
なんて、想像するだけで耐えられなかった!

もちろん、「わたしのえさをゆずってあげる」なんて友達がいるわけもなく、
かるごはひとりあわてた。
「これ、東急ハンズのラッピングだから、そこへ行けばまず間違いなく、
この魚がいて、この魚専用のえさがあるよ」
なるほどもっともなアドバイスを受けて、「よし明日にでも」と帰宅。
しかし――死なないように死なないように、と祈り続ける悲愴感――思い出すと
滑稽ですらあるが、この未知なる小さな魚は、それほど弱そうに見えたのだ。

「イカン! 飼うからには、名前をつけなくちゃ!」
祈りの間に思い立ち、考えはじめる。アカヒレ……アカヒレ。うーーーーん。
布団に入っても、思いつかない。おかげで眠れなくなってしまった。
どれもこれも、彼にふさわしい名前に思えない……の繰り返しで。
結局、明け方近くまで考えていて、決定したのは………………。

  ヒレちゃん。

「……信じられない。なんて短絡」
妹に呆れられたのを覚えいてる。いーのだ。短絡、けっこう。シンプルと言って。
そして、日曜日だったと思うのだが、教会の帰り大急ぎでハンズに寄って――
ペット売り場へ駆け込み、店員に叫んだ。
「アカヒレのえさください! あと水質安定剤も!」
「え??? アカヒレの……えさ、ですか?」
当惑した顔。それもそのはず、アカヒレというのはどうやら、トンカツに対するキャベツ、
みたいなもんで、立派な鑑賞魚に対して群魚一団として投入される魚だったのだ。
それ一匹だけで飼う、ってことはないらしい――。
でも、そんなこと言われても、かるごはヒレちゃん以外の魚はいらないのだ。

いずれにしても、ヒレちゃんの食料1年分、とでもいうくらいのえさと、
水質安定剤を手に入れて、帰った。

それから我がヒレちゃんのため、母もかなり尽くしてくれた。
彼の環境のために、置き水をして――瓶も大きいものに替えた。
結局水質安定剤は必要なかった。
あとは玉砂利買って、水藻も浮かせて(たった一匹のヒレちゃんのために!)……
そう! 我がヒレちゃんは王様になったのだ。

魚まで飼い主に似るのか、彼はよく食べる。ので、かなり腹が大きくなった。
弟part1はよく言っていた。
「ヒレ、どう? お・大きくなったねえ。もうすぐ佃煮になるかな」
……ならないって。させないし。

ヒレちゃんは孤独だったが、それでも元気だった。
水ぬるむ季節になると、ちゃぽんちゃぽん、とはねる音も聞こえた。
なんて愛い奴――と妙に愛着。一緒に寝られないのが残念と思うほど。
いや、それでもひとりじゃさびしかろうか?と思い、お仲間も買ったこともあったが、
1ヵ月くらいの間に相次いでパタパタ死んでゆくので、あきらめた。
そうなのだ。同じ結婚式に出た友人のアカヒレも、消息を聞いたところ1週間〜3週間で
去ってしまったらしく、確認し得た人の中では「3ヵ月」が最長だった。

なぜか、かるごのヒレちゃんは優秀だったのだ。
夜中、瓶から自ら飛び出してしまって力尽きるまでは――。
あまりに元気よくハネまくってしまったのだろう、はずみで水のない世界へ
飛び出してしまった……。夜、ひとりさみしく苦しかったことだろう。
そう思うと、今もちょっとせつない。ヒレちゃんに限らず、だけど。
朝、母が起きてきたときには、もう床の上で死んでしまっていたヒレちゃん。

しばらくは埋葬することもできず、ミイラなるまで小さな瓶に入れていた。
だって、1年半にわたる我が家の王様だったんだもの。
それから、庭に埋めてお別れをしたのであった。

「ヒレちゃんが、とうとう死んでしまってね……」
友達に報告したら「え、まだだったの!」と驚かれてしまった。
たぶん、あの日もらった中では一番長生きをしたんだろう。

ともかく――ありがとう、ヒレちゃん。

ヒレちゃんを思い出した5月12日(金)であった。

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1993年4月26日(日)のおせっかい

午後の小田急線。
各駅停車で新宿へ向かっていたかるご。
うとうとしていたせいで、うっかりどこでも乗り換えず、
そのまま各駅に乗りっぱなしだった。

ふと目を覚ましたら、新百合ヶ丘を出て
向ヶ丘遊園駅に向かっているところ。
すると、かるごの右隣の席の、40代前半くらいの
こぎれいなおばさまたちがふたり、
「急行が早いのかしら、それともこれでいいのかしら」
やけにそわそわ。
自分達の右隣に座っている人に、
「ここから、どのくらいで新宿に着きますか」
「いやあ……ぼく、わからないな」
聞かれた彼は一緒になって停車駅案内板を見るが、
わからず。首をかしげながら、
「駅はかなりありますよねえ。
けっこうかかりそうですよねえ」
数えている。
うん。なんだか、いいひとだ。
「じゃあ、急行に乗ったほうがいいかしら。
新宿から東京駅って、どのくらいかかります?」
「いやあ……すんません。あとは全然わからないっす」
いいひとの知識の限界であった。

彼に礼を言って、なおもそわそわしている彼女たちは、
さらに、目の前に立っている人にたずねる。
「どのくらいかご存知ですか?」
聞いている。が、その人もやはり、
「自分たち、全然わからないんです」……との答え。

ああ・・・おせっかいの虫がうずきはじめた。
かるごは実は「鉄研(鉄道研究会の略)」――いや、とんでもない。
時刻表調べるのは好きだし、乗り物も好きだけど、
詳しくはなく人並み。

「新宿から東京駅は、15分くらいで着きますよ」
ああ……口出ししてしまった。
「すぐに出る電車に乗れれば」
って――。
ちょっとびっくりしてるようだ。いや、もうなんだっていいや。

「え・じゃあ」
ひとりがこっちを見る、もうひとりはそれまでたずねた相手に
お礼を言っている。
「じゃあ、新宿まではどのくらい?」
「次の駅で急行に乗り換えたら、20分ちょっとくらいですかね」
かるごが答えると、おもむろに特急券を見せてきた。
「いえね、この時間の新幹線に乗らないといけないんですよ。
間に合うかしら」
時間を見ると、1時間後くらいの新幹線だった(と記憶する)。
「じゃあ、次の駅で急行に乗り換えるといいですよ。
そしたら間に合いますよ」
「ほんとう? よかった。ドキドキしちゃったわ。ねえ?」
ふたりとも安堵のご様子。
よかった。ちょっとはお役に立てた。

と、今度は思い出したように、
「あ・新宿での乗り換えってどのくらいかかるかしら?」
少し先のことをおたずねになる。
「5分見とけば余裕でしょう。中央線で――って、
おわかりでしょうか?」
「乗り換え案内、わかりやすいかしら。
わたしたち、とにかくてんやわんやで、バタバタ上京したもんだから」
いったいどこから来て、どこに行き、どういう「上京」だったのかよくわからないが……。

で・向ヶ丘遊園に到着。
「じゃあ。わたしも新宿へ出て乗り換えなので、
途中まで御一緒しますよ」
「え、でも、このままこの電車で行くつもりじゃ?」
「いえ・わたしもうっかり寝ちゃったから、ここで乗り換えないと
もう間に合わなくて」
「ああ、気持ち良く寝てらしたものね」
うーん……一度はわたしにも聞こうとしたのかもしれないなあ。

新宿までの間、ちょろちょろとお話。
特急券には「名古屋」とあったので、聞いてみた。
「そうなのよー。でもね、一泊二日で、ほんと慌ただしくて。
昨日の朝一番で来て、チャッと東京・鎌倉見物、って感じで」
見れば、たしかに身軽。ふたりとも、小さなボストン1個、
小さなハンドバック1個、オミヤゲらしき紙袋1つ、2つ。
「手荷物、それだけなんですか……?」
「そーよー。もう、旅館で浴衣借りて、寝て、服は昨日とおんなじ」
でも、楽しかったんだって。かわいらしく笑う。
「よかったですねえ。お天気もよかったし」
「そうそう。気持ち良かったわよ〜」

あっという間に新宿。
「ありがとう。じゃ、こっから乗り換えればいいのね」
「あ、わたしもJRに乗り換えだから、途中まで同じです。
そこまで行きましょう」
人波にもまれながら、ゆるゆると進む。
「こっちです」
地下乗り換え口へ進み、中央線の東京行きホームに
上がる階段まで案内した。
次ぎ来るのに乗れば、新幹線に十分間に合う。
「お気をつけてお帰りくださいね」
お別れのご挨拶。
「ほんとにどうもありがとう」

別にどうってことないできごと。
日常でだれでも経験することだと思う。
けどね、びっくり(?)したのは、このあとだった。
「あの、これ」
二人が差し出す紙袋は、とらや。
「え????」
「これ、お持ちになって」
え・でも、これって???
「いや、それは……せっかくのおみやげを」
「いいのいいの。わたしたち、自分の分はあるから」
ヨウカンを見せる。紙袋からぬいておいたらしい。
「え……でも」
「受け取って。ほんとにうれしかったの。どうもありがとう」

……――結局、受け取ってしまった。
「ええ??? なんだか……ありがとうございます。こちらこそ、
ありがとうございます……」
こちらもわけのわからないお礼を述べて、笑顔笑顔。
「お気をつけてお帰りくださいね・さよなら」
「さよなら。ありがと」

とらやのかしわもち。2つ。
新幹線の中で、ふたりで食べようと思ってたんじゃないのかなあ?

なんだかもったいなくて、なかなか食べられなかったよ。
家族にも1つあげるって言ったんだけど、食べられないって言われた。
……って結局わたしが食べたんだけど、すごくおいしく感じたな。

と、まあ……
4月になると、ふっとよぎる、
春の、うれしい思い出のひとつ――。
デシタ。




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1998年7月18日(土)のクリスタル・ガラス記念品

1998年7月。
便乗アイルランド旅行も、ほぼ終わりに近づいていた……。
かるごたち一行は、「ウォーターフォード・クリスタル」を見学に行った。
クリスタルガラスの行程を逐一ながめたのは、生まれてはじめてのこと。
その繊細な出来上がりに至るまでの、力仕事、神経質な作業を
丁寧に見せてもらう。

そんな作業行程を間近にめぐりながら、
その職人技に感嘆――そして、疑問。
だって。
果たして、なんの防護服も着ていないけれど、
彼らが削っているガラスの破片は有害ではないのだろうか???
――思わずにはいられないよ。
彼ら自身は耳にヘッドフォンを付けてまで、その音から耳を避けているのに。
指先の感覚一つで、模様を刻み、仕上げている。

ガイドに訪ねてみた。
「彼らは水を流しながら作業するので問題ないというけれど、
わたしはそう思いません」
せつない顔での答えが帰ってきた。

そうだろうなあ……。
"グレーヴィング(graving)"という行程ではとくに、
電動の刃で削っていく。自らの腕でその微妙な「深さ」が測られるわけだが、
いくら水を流して視界をクリアに保っているとは言え、
かなりの「粉塵公害」があるのではなかろうか??

そんなことを思いながら、それでも彼らの「石の上にも三年」的な手仕事の
地道さ、熟練業には見入ってしまうのであった。

さて。
お決まりのショップ案内。
そりゃあ、「いいウィスキーグラスがあれば買っちゃうかも」くらいの
気持ちはあったけれど……
一目ぼれできないようなものは"No thank you!"
とやや強気のかるご。

が。
ウイスキーグラスを探してたのは、かるごだけではなかった。
父も探していた。
「蛙の子は蛙」――という古典的なことわざがよぎったが、
まあ、いいでしょう。
かるごと彼の趣味は違う。当然、財力も。

でもって、かるごの一目ぼれは、ウイスキーグラスには見出せなかった。
かわりに、妹ともども気に入ってしまったものがひとつ――。
   うつくしすぎる大きなボウル……。
控えめにケルト模様なぞ描かれていたりして。
そのシェイプも、なんて繊細でうつくしいことか!
しかしながら……それはそれは、とても手が届かないお値段で、
また当然かるごたちには似つかわしくない芸術的食器でもあったので、
もう目を閉じて(未練タラタラだったが)去ることにした……。
さよなら。

そこへ。
父が「おまえら(妹とかるご)に、記念におみやげを買ってやろう」
と珍しいおやさしいお言葉!!
「でも、やはりさすがにあれは無理だろう……」
10万も出して買ってくれ、とおねだりできるすべも度胸もなく、
やはりまた、分不相応な気がして、ボウルはあきらめた――。

はて。
では、そうなったら、なにを記念品として選ぼうか。
せっかくだから、ミレニアムコレクションもいいけど、でも……。
グラスの中から、もう一度何か探すか……。
お・アクセサリーもあるのね……デスク用品の小物も! へえええ……。

 妹:「ねえ、どうするどうする?」
 か:「うーん。こうなるとムズカシイな。予算もあるし……」

で、妹が選んだおみやげ記念品は、シャムロックの形をした
ガラスのミニトレイです。

 か:うーん。わたしはこれにしたよ。こっちとあれと、迷ったけどね。
 妹:え? 本気で? あれはわかるけど、こっちは……。
   でも、お姉ちゃんらしくていいけど……。

かるごの選んだのも、一応ガラスのショウケースには入っていましたよ。
「なぜ、それなのか」、という疑問はおそらく、妹だけでなく、
聴いただれもがほとんど感じることでしょう……。
「むしめがね」。

グラスやボウルなど、「食器」ではありませんでしたでしょ?

おおよそ20×10×7(cm)の箱に入っているのにふさわしいでしょ?

日常使っているかと聞かれると、「使ってません」。
使うような職業でもないし、もったいないし、記念の品だから。
(ま・そりゃ、使いたいときは使うよ)――ってものだったでしょ?

WATERFORD CRYSTAL-MAGNIFYING GLASS-
*フチ、金色に見えますが、銀でーす*

かるごは後悔していないし、むしろすごくうれしい。
昔からこういう銀のフチのむしめがねに憧れが……。にまにま。だいすき。


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1993年6月13日(土)の「現実逃避の会」発足への伏線

それは友人に誘われて連れていかれた「古賀森男」というアーティストの
ライブの晩だった――。
会場は――今はもうないが、新宿の"日清パワーステーション"。
ここは、ステージのあるフロアと2階席がオールスタンディングで、
ディナーを食べながら観られるテーブル席が中2階にあるホールだった。
個人的にはわりと好きな会場だったのだが、それはさておき――。

「古賀森男」氏の歌は、とてもわかりやすいラブソング。
けれども、かるごにはちょっと聴いていて気恥ずかしいものがあった。
これは、小中学生の頃の自分を思い出すときに感じる恥ずかしさにも
似ていたような気がするが……
まあまあ、それはともかく、妙に赤面したくなりながら、
「ごはんを食べながら席」で眺めていた。
そう、ディナーテーブル席をとったのであった。

話はいきなり飛ぶが――新宿駅へ向かう帰り道。
ふと気づくと時計が無い!!!
なに!?
……どこで落としたのだろう……?
必死で記憶を探り、「いつの時点までつけていたか」を思い出そうとする。
テーブルで一度、食事中に外して置いた。
けれども、そのあともう一度はめなおしたんだよな……けど。
けど、そこから先のことはなーんにも覚えていない。

公衆電話を探し、パワーステーションに電話。
とりあえず探してもらうことにする。
こちらは通ってきた道々、目をこらして戻る――。

が、見つからなかった。
戻った会場にも――探し出してくれていたら、という望みも消えた。
とりあえず、連絡先は置いてきたものの――なにも来なかった。
がっくり。

「まず見つからないと思うけれど」
新宿駅西口の交番にも一応届けを出してみたとき、ちょっと赤ら顔の、
「飲んでるんじゃないのか?」と疑いたくなるような若い巡査に言われた。
はあ――がっくり。

交番には、実はひとつ落とし物の時計があった。
が、かるごのは革のバンドではなかったし、
おまけに落としたと気づくより、はるか前に届けられたものだったし。
再びがっくりがっくり。

あきらめて帰る道々、さすがにショックで――ぼうっとしてしまってねえ、

「あーあ、先に帰り着いていないかな、時計……――。
お帰り〜って言ってくれたらなあ」

なんてつぶやいてしまった!
それを聞いて、友達がびっくりした。
「うわあ、それすごい想像だねえ。なんだか現実逃避ってかんじよ」
「だって……だったらいいな、って思ってしまうよ…………。
 そうよ、現実逃避よ――」

とまあ、こうして、「現実逃避の会」発足に向けての伏線が
あったというわけなんですね――。
肝心の会が具体的に(!!)発足したのはそれから、1ヶ月後くらいだったと
思うのだけれども。

当時つくった資料(会の趣旨・役員構成・会則などの書類)がどこかへ
いってしまったので、またあらためて見つかったときにご紹介しよう。。。

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