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..memories6...@". かるごのおもいでのつぶやき 6 .@"...memories6..

「旅のアクシデント」

「過去の“予期せぬ”出来事」


「幼少のみぎり」

「京都といえば……」


「旅のアクシデント〜1996年9月のVirgin Atlantic」
 

2001/01/27、箱根で雪のために帰れなくなった顛末を知って、「いやぁ、楽しいねえ」と言ってくれた方がいる。おお、これは冗談か、それとも本気でか? かるごは結構本気で楽しい。

そう! 楽しいものでもある。旅のアクシデントは。
もちろん、起きるコトによるけど、かるごだけに地味なアクシデントなんだよ、いつも。
それに、アクシデントにはあんまり出遭ってはいないような気がするのだけどな。いや、出遭っているのかもしれない。単に危機管理ができていないので、ヘラヘラしてるのか。
ああ。
おそらく、いつか、笑えない状況に陥って命を落とすのだろう。(そんな可能性に満ち満ちているかるごらいふ、であることよ)
――というわけで、ちょっと思い出して表題のとおりのお話を。
これだけ妙に長くなってしまったけども。

かるごのアイルランドのきっかけでちょろっと書いたことだけど、初アイルランド上陸までは、とっても長いみちのりだったのだ。かるごはロングフライトOKな人間なので、飛行時間の問題ではもちろんないの。9月、日本では旬のものがロングフライトを引き起こしたのである。
当時憧れていたVirgin Atlanticにのろうというその日………………。

台風……。

前日から「台風上陸」というウワサは(もはやウワサではなく、限りなく身近な真実)あったのだけども、もろに重なるとは!!!! 房総沖に上陸の予想――11時に飛ぶのが先か、台風が来るのが先か? ばくちめいた気分だったが、「自分の旅は大丈夫」という根拠のない自信と願望を抱いて、新宿へ向かう。
たしかに、雨ですな!
成田エクスプレスの車窓からも、たしかに暴風域の景色が見えていたのだろうが、現実逃避の会会長かるごは、「欠航しない程度の嵐」と受け止めた。
そういうわけで、成田で友達のげこちゃんと合流したときも、ほとんど不安はなく――ツアーデスクでチケットを待つ間も、とりあえず飛んじゃったもん勝ち、と いそげいそげと搭乗口に向かう。
もちろんかるごたちがいそいだところで、飛行機の時間は変わらないのだけど、
「搭乗口に行かせるんだから、飛ぶのであろう」

定刻どおり搭乗開始。空模様は、防音ガラスの内側からでは非現実的解釈が可能だったが、一抹の不安はなくもなかった。
「空に出ちゃえば、なんとかなるだろう」
――なんとかならなかった。乗りこんだはいいけど、飛ばない!
いや、いったん滑走路まで動いたのだけど、引き返してしまう。
アナウンスでは、安全のため戻ります、ということだった。
そりゃそうだな。風に抗えずツーーーーッとすべる飛行機なんて、あわれすぎる。
しかし……うーん、と友達とふたりで顔を見合わせる。
まあ、でもおろされるわけじゃないし、そのうち台風がさっさと過ぎてくれさえすれば
と祈る心持ち。

それにしても、ものすごい揺れ!
荒っぽい運転のバスにでも乗っているようだったの!
待ち時間、おしゃべりしたり、パーソナルテレビでテトリスをやったり。友達は日ごろのおつとめ疲れでオヤスミになったり。
ほかの乗客は、というと、まあ、似たようなことをしていたのではないかしらん。
中にはこういう閉塞状態が体力的にダメな人も、もちろんいる。具合が悪い人もいたようだったし、子どもなんかはガマンできないだろうなと思う。それでか、ご希望の方はロビーへどうぞ、と搭乗ゲートのほうへ通路がつながった。
「どおする?」
友達に聞いたら、「どっちでもいいよ。ここで寝ててもいいし」というおこたえ。
めんどくさがりかるごは、飛行機の中で全然かまわないので、「じゃあ、残ってよう」ってことにした。
ぞろぞろと移動したい人たちが立って、あちこち空席ができた。窓の外はまっしろ。
「おーすごいねーー、なんも見えないや」
滑走路から戻ってきたときは、おなじく引き返すことになったシンガポール航空機が隣にいたのが見えたのに。

でもさ。
そのうち、時間がくればおなかがすくじゃない? そもそも機内食が楽しみだったりもしたので、ごはんは出ないのかしら???
今度は飛行機が出ないってことより、そっちのほうが気になってしかたのないかるごだった。
そんなつぶやきが聞こえたのか、 ナンダカンダという理由で料理は出せない、というアナウンス。
「ええーーー、おなかすいたーーー」
ぶつぶつ言ってた。
そしたら、さすがにそりゃヨクナイ、って思ったのだろう。カンヅメ状態で空腹。これで武器があったらハイジャックしてくださいっていう条件みたいなもの。
「お食事、お出しいたします」
やったーーー♪♪♪(要するに、空腹が満たされればそれで幸せ)

オナカがくちくなってから、しばらくして。
「風が強くて危険なため、搭乗ゲートビルディングとの連絡通路を切り離し、建物から離れます」
というアナウンス。
つまり、陸の孤島になりますってこと。
でも、満腹になったかるごは、またまた何の根拠もなく「だいじょーぶよー」と思っていた。
自分の乗った飛行機は大丈夫、っていう自信が、当時は常にあって。
だいたい、空を飛んでいないから落ちることはまずない。
でも、暴風に飛ばされないとも限らなかっただろう、とあとで言われた。たしかに、 よく揺れた。

台風一過。
午前11時発の予定だった飛行機は、午後7時過ぎに出た。ようやく、半日遅れの出発である。それでも、 出るとはすばらしい。

ロンドンはヒースロー空港に着いたのは、真夜中。
ハテ。乗り換えはどうなるんだ?ヒースローは24時間空港ではなかったのだった。
この先お乗換えされるお客様は到着ロビーで係の者に指示を受けろ、というアナウンス。
そう――ちょっと話がずれるけど、この降りるときに、通路をはさんでナナメ後ろに座っていた人が、
「ビューリーズのツアー? これから一緒に行動していい?」
と声をかけてきた。これが、1999&2000年アイルランドの旅をしたリナさんとの出会い。(ものすごーく仲がいいわけでもなくて、1999年に再会するまでは、3年くらい音信不通でもあった)

とりあえず「イギリス入国審査」。審査官は、めんどうくさそうにカウンターに座っている。時間外勤務もよいところだから、しかたない。おかげで、「旅行? はい、帰りのチケットね。さっさと行けば」みたいなやりとりで通過。
で、ロビーに出ると、ヴァージンの職員がわらわらと集める。ダブリンへ向かうのは、ビューリーズツアーの15人(くらいだったと思うが)と、個人旅行の男の人、子ども連れの女性二人(くらいだったと思う)。。。職員が説明するのは、とにかく飛行機はない、ってこと。
しかも、明日振り替え便はここじゃなくてスタンステッドという別の空港から出る、ってこと。
そこまでこれから車で送られるってこと。

で、地下の駐車場へぞろぞろと。
何人か組になれ、という。まわされてくるのは、どう見ても職員個人の車である。
「だいじょうぶなのか?」 とは思いつつ、とにかくだれかが乗り込まなくちゃってことで、かるごとげこちゃん、リナさん、そして、個人旅行の男性で、やってきた第1台目に乗る。
レンジローバーだよ。
なんとなく「さすが」「やった」と思うわれわれ。

夜中のロンドンドライブ。まっくらやみ。なかなかわくわくする光景である。
だって。夜のイングランドのハイウェイ、走ったことなんてないもん。
スタンステッドに着いたの、3時半頃だったのかな。よく覚えていない。
「飛行場が動き出すのは7時から。ぼくは戻るけど、中で待ってカウンターへいくように」
そして、レンジローバーは夜明け前の暗闇に消えていった……。

でもね、スタンステッド空港、なんだか幕張メッセみたいな建物で。
いやー、きれいだな、ってかるごは思った。
でもって、だあれもいない、動き出す前の空港に入っていていいんて、いていいなんて、、とってもわくわくすることじゃない? ちょっと興奮かるご。
あとから続々到着した仲間を待って、とりあえずひとつところにかたまり、ベンチに落ち着く。

が、ちょい興奮気味なのんきな3人は元気に探検しまくる。ともかく7時まではまだあるわけだし。
せっかくの機会に探検探検。(もちろん、略奪なんてことはしない――っていうかできない)
同じツアーの人が「げ、げんきですね……」とあきれていたが、いやぁ、なんて答えたんだっけな。
たぶん「だって、わくわくしません?」って言ってしまったような気がする……。

そうこうして7時になって、 動き始める瞬間も見たわけだけど――映画みたいだった。
突然こんなところへまぎれこんじゃった、みたいな異邦人感覚が強くて。(たしかに異邦人だけど)
とにかく、この夜中から夜明けのスタンステッド空港、これは一生忘れないな。
ひとりドラマチックに、空港の始動をながめていた。

で、振替便。もともとはブリティッシュミッドランドだったが、与えられたのは――いまや1ポンド航空券を出したりすることもあるあのライアン・エアーであった!!! 
自由席、サービス一切なし。飲み物は買って飲め。
てなわけで、リナさんは赤ワインを買う。
かるごもおすそわけをいただく。朝っぱらから、飲む。
実に象徴的な旅の始まりだった……というわけなのだ。

第1回アイルランド旅行がそんな特別なスケジュールだったので、忘れがたい――どんなに忘れっぽいかるごでも、忘れられない。

だって。
こんなアクシデントがなければ、リナさんにも出会っておらず、だったことだろう。
そして、 アイリッシュウイスキーにも出会っていなかっただろう(だって、変に時間が余って、調整が必要になって行ったところだったんだもの。ほんとは、ギネスホップストアだったかもしれないのよ)。
アイリッシュウイスキーに出会っていなければ、二度めそのためだけにひとりでアイルランドに行くなんて思いつかなかったし、三度目、便乗するチャンスも得られなかったかもしれない。
三度目便乗しなかったら、 第1回のツアーで現地ガイドのしのぶさんとはからずも再会するなんてこと、なかっただろう。そして、ミック&イヴォンヌさんに出会うことも。

もちろん、なにごとも「かもしれない」である。
どっちの道筋をたどってきたって、悪いことはなにもない。
振り返ったとき、おそらくどっちの場合でも、なにごともむだなく、なにかにつながって「今」を感じることができるだろう。
でも、ささやかに特別って思いたいじゃない?
ささやかに、ドラマチックを感じたいじゃない?
だから、かるごは旅のアクシデントを大事に思う。楽しめるなら、楽しみたいと思う。

もちろん条件はいろいろあるよ。
かるごの信条の一つは、 「旅と酒は相手を選ぶ」 ですから!

 *自分自身は決して、旅のパートナーとされたとき付き合いやすい人間ではない、と思う。
  にもかかわらず、こういうことを言ってのける傲慢をおゆるしくだされたし。
  あ・でもね、酒の相手としては、まあ、そこそこ付き合いやすいのではなかろうか?と自負が
  あったりするのだけど――どうだろう??? おおいに賛否両論かなあ?
 ま・いっか。

ちなみに……先日の2001/01/27箱根から帰れなくなったときの写真(かるごはカメラを忘れてしまったのだ。残念至極)、友達によれば、荒れ狂う吹雪をバックに撮った我々の顔からはなんの危機感も感じられないらしい――ヤッパリ。
そういや、かるごの顔拓は撮れていたのだろうか????ということが気になる夕べであった。

*ふう。長くなった。おつかれさま。
以前、かるごめーるで読んだことのある人には、申し訳なかったのですけど、書いてみた。
…………って、そんなにいないや。




「過去の“予期せぬ”出来事〜1989年8月」
 

これはだいぶいろんなひとに話しているけど、まあ、書いておこう。
かるごは段差に弱いのよって話。

まだ学生の時分、ガールスカウトのリーダーをやっていたことがある。
で、その夏キャンプでのこと。
小1から小3の(ブラウニーとよぶ)スカウトたちを連れて、バスに乗った。
路線バスでほとんど貸切で、わらわらと子どもたちをつめこんで30分くらい乗る。ほとんどの子どもが自分の体と同じくらいのリュックを背負ってたりしている。乗っている間は、床に下ろしたり、座っている子は膝にかかえたり。

で、目的のバス停。かるごは、ふたつばっか子どものリュックをかかえて降りることになった(なぜかは忘れたが、たぶん車酔いした子のぶんだと思う。でなきゃ、持ってなんかあげないもんね)。
両手のふさがったかるごではあったが、子どもの荷物なんて軽いのであった。
が、問題は重さではなかった
路線バスには料金箱というものがついている。
体をよじって降りようとしたとき、右手の荷物がそこにひっかかってしまったのである。

すべては夢のように一瞬。
気づいたときには、バス停に膝から落ちていた。
つまり、一度もバスのステップを踏むことなく地上へ降りたのである。
どんなふうに空を飛んだのだろうか???
いや、そんなことより、

「ポケットに両手を突っ込んでいたら、転んだときよけいにケガするよ。手を使えないと、どこもかばえないから危ないんだよ」

小学校のときに、そんな注意を受けたような――とよぎる。

顔を上げると、みんなが口を開けて立っているのが見える。 ややあってから、
「だ、だいじょうぶ?」
ようやく気遣いらしきことばが、他のリーダーからちらほらと。
いや。大丈夫じゃない。ひどく痛い。
「……なにが起きたのかわからなくて、手も差し伸べられなかった……」
そうだろう、そうだろう。
振り返ると、運転手も目を丸くして、半身を乗り出していた。

なんとか立ち上がる。荷物はひとつも取り落としていなかった。我ながらえらいと思ったが、それどころじゃなく、手と膝が痛い。
特に左膝が、そっちのほうから落ちたらしく、ひどくすりむけていた。とりあえず、血をぬぐう。
指の節々もところどころすりむけていた。
ひりひりじんじん。
こんなケガ、 いったいいつぶりだろう? 転んですりむくなんて。もとい、転げ落ちてすりむくんて。
涙が出そうだった、出そうで出そうで、あー出るかも、って思った瞬間、
「リーダー、えらいねー。泣かないんだー」
――小2の子にそう言われてしまっては、泣けないでしょう。
「うんにゃ。リーダーだって泣きたいよう」
「痛い?」
「痛いよ、そりゃ」
「じゃ、やっぱりえらーい」
そうだね、えらかったよ。泣きたいくらい、ほんとに痛かったもの。

両手にはやはり子どもの荷物。てくてく宿舎に向かうのであった。
こういうことはたしかに予期できぬ。
ああ、そういえば、昔海老名駅でも階段半ばからバスロータリーの地上までごろごろ転げおちたことがあったなあ、なんて懐かしんでしまったりもするくらい――かるごは段差に弱い。
ここでまたそれを確認してしまった。
そして、これにこりず、この10数年の間に何度階段でこけたり、転んだりしたことか。
世の中、危険がいっぱいよ。 みんなも気をつけてね。

さて、このあとはこのときのケガについてちょっと余談。
本人も含め、だれもがたいしたケガじゃない、と思っていたので、病院にも行かなかった。
あざがあちこちに生まれていたけれども、骨折などありえないし。
こんなすり傷と打ち身、 病院に行くようなケガではない。
が。が。が。

骨のカタチが変わってしまったらしい。
これはずいぶんあとになってから気づいたのだけれども、左膝の膝頭が右よりポコッと飛び出ているのだ。
で、別にそれだけならどうってことないわ、と思っていた。
それだけじゃなかったのだ。
体調が悪くなったり、冬、しびしびとした冷えが訪れる頃になるとうずくようになる。
これでは年をとってからが怖いではないか……。
とはいえ、いまさらどうともならず――また、どうしようとも思わず(このへんがノウテンキ)、生きてきてた。

でも、体質が変わり体が軽くなると、そういうことが少なくなった――本当に体調を崩したときだけ膝に違和感を覚えるだけで、ふだんは単にいびつな形状をとどめるのみ。
なのでね、逆にいうと、体重が増えたりすると左膝にきてしまうのだけど。。(^^;;

そうさねー。このバス転落事件で左膝のカタチがおかしくなっているなら、 実は例のスプラッタ事件で鼻の形がおかしくなっていたりするのかな? だれにも指摘されたことないし、自分でもわからないけど。
少なくとも、どれを話しても笑い話になっているってことだけは、たしかよ。
そういうふうに話している、という説もあるけど――そう、これまた真実って感じかもね。

 



「幼少のみぎり」
 

2001/04/06、NardyさんとThe Roundstoneで飲みはじめたとき――なぜか思い出した話。
「三匹のヤギのがらがらどん」 という絵本の話が出たからか、いや、なんだったかな?
なにがきっかけだったか忘れたけれど。

「わたしさー、長女ゆえに気を遣って育てたのに、といわれることが多いよ。
床にじかに座らないようにざぶとんを用意したのに、ないところに平気ですわり、
玄関でもどこでも寝る、とか言われた。
あんなに大事に育てたはずなのに……ってさ」
そう、かるごはどのような幼児であったのか?

うちの母がある時期、なぜか英語の絵本を集中的に読んでくれたのだが――ほかの絵本でも
そうだったのかもしれないけれど、覚えているのは英語の絵本を読む母と聞くかるご、という構図である。 楽しませようと彼女は抑揚をつけ、表情も自然に豊かに変わっていったものだった…………そんな、あるとき。
うちの母が目をまあるく見開いて、なにかのクライマックスのフレーズを読んでこちらを見た瞬間!!!!

「おかあさん、バセドウみたいな目でわたしを見ないで」

………………なんで就学そこそこのコドモが、そんな言葉を知っているのか?
刷り込み英語教育はこの日終わった――ような気がしなくもない。

Nardyさんに言わせると、
「あんたの家にも学研のシリーズ図鑑があったに違いない」
ってことだった。
そういえば…………と思い当たるフシあり。納戸には絶対何冊か残っているはず。

そう、そしてそういえば、お金の載っている巻があったんだ。
それをかるごは、何を思ったかジョキジョキ切り抜いたのだ。使えると思ったからではなくて、
単に自分の手元に「そのもの」をおきたかったらしい……。
近所のおばさんに見咎められてとっても怒られたのだけれども、なぜ怒られたのかわからなかった。
本にハサミを入れたから、いけないのだ――と漠然と理解していたが、どうやらおばさんは
「下の妹ちゃんたちが読むときに使えなくなってしまうでしょう」と言っていたようだ。
そう、ごもっともなんだけど、下に三人のきょうだいのいる姉のすべきことではないんだけどね。
でも、かるごにはかるごの思いがあったのだ。反抗的思想ではあるけれど、心の中ではこう思っていた。
「妹はこんな図鑑読まないと思うんだけどな」

……ま・そんなことがあったのよ、なーんて話を弟part2にしたら、
「あ! その図鑑ぼく知ってる! どうしてここのお金のページだけ絵がないんだろう、って
だれが切ったんだろうって思ったの、覚えているもん!」
……近所のおばさんは正しい。
けれども、仕方ないわ。かるごだってコドモだったんだから。
バセドウ知ってたって、コドモはコドモ。
どんなに想像つかなくっても、コドモ時代はだれにでもあったんだから。。。。

ふう、昨日、そんなことを思い出したよ。




「京都といえば……」
 

2001/06/22、「京都・どらやきとNaoさんをめぐる日帰りの旅」実行。
で、新幹線乗って京都は久しぶりだなー、なんて情緒めいた気分になろうとしたら、
「あ。。。1月に祖母のところへ行くときに乗り換えで使ったじゃないか……」
と思い当たる。
で、そうだ、日帰り京都なんて初めてだなー、なんて考えることで、再び情緒にひたろうとしたのだけど、
「あ。。。大学院生のときにあった主査の葬儀は、日帰りだったな……たしか京都から湖西線に乗ったのだ……」
と思い当たる。

そう、葬儀といえば。
このときにアガサ・クリスティーの『パディントン発4時50分』の文庫本を落としてしまったのだったな。
いやぁ、本は別にいいよ。代わりが手に入る。なにが悲しいって、文庫本カバー。友達にもらったネーム入りの皮のカバーだったのだ。
帰り、東京駅で遺失物係まで行ったけれど見つからず、乗った電車の行き先駅まで調べてもらったけれど見つからず………………がっくりした。
あのときの、自分の不注意がくやしくショックであった気持ちを、まんま思い出してしまった。
あれから何年だ? 
また同じようにちょっぴりくやしくショック。
たとえば、本屋で似たような文庫カバーを見るたびに疼くのだけど、京都へ行くたびに思い出すのだけど――またあの日のように「日帰り」「京都」というキーワードでは、なにか違うものまでが喚起されたみたいだった。
かばんをあけて、ポケットを探って、落として悲しいものはなにか、など検めてみる。
…………そんなものはなかった。
でも、それは「落としてもすぐには気づかないで、あとで困ることになるもの」かもしれないな、などと天邪鬼かるごは考え、そうして京都へ向かったのであった。

―― 余談。
それでは、京都でのどんな旅スタイルがはじめてだろう?と考えたら、
「京都駅の外を、親戚の家に寄らずに歩くこと」
だった――。 そうだ。
京都駅の外を歩くときは、親戚の家に必ず立ち寄っていたから、今回みたいなことはまるで初めてのことだ。
おお、そうかそうか。なんとなく、不思議な気がした。

京都行き。
なぜだか、妙なことがいろいろと彷彿とすることばであり、行動であるなあ。。。
などと思ったことだよ。



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