August 25, 2006

「実家」からつれづれ

実家は今、植木屋さんが来ていて、ジャングルのようになっている庭をきれいにしてくれている。
来週はベランダ手すりの点検だそうだ。
先週末は祖母の部屋の畳替えだったような気が……なんだかんだで、バタバタしている夏みたいだ。

そんなのをひとり母が、家事もしながらやっている。

と思ったら、なんか手伝いたい気になる。
なるんだけど……部外者(かるごは一応家を出ているわけだから)が動かすと、わけわからなくなって
それはそれでストレスになっちゃいそう。
なんかムズカシイ……。
ま・いつでもきれいにしていれば、だれが掃除してくれてもかまわないのだろう。
今、自分が住んでいるところを見ても、もーちょっとなんかできそうだよな~と思う。

捨てなければ、いけないのだ。

何が一番かさばってるんだろう?
雑貨?
すらいむ?
本?
服?
CD?

……うーん、、、どれもこれも、当てはまるな……。

ま・自分のところはさておいても、今日も実家に行って、もう少しなにかできたんじゃないかと
胸を痛めて帰ってきた次第。
なにか、ってなんだろうか、わからないんだけど――奇妙な不安、良心の呵責。

一緒に暮らしていないことへの遠慮は、必要なのかどうか、なんて、実家でそんなことを考える
かるごはバカか?

でも――いつもたまごをもらって帰ったり、食材をくれたり――他愛もないおしゃべりしたり。
「受けて(もらって)」いることのほうが多くて、そして去っていく自分が、なんだかものすごい薄情に
思えるのかもしれない。
そういう時時に、かつて一緒に暮らしていた「感覚」をなんとなく思い出すせいかな。
自分にとって居心地のよかった場所から離れていく、痛みなのかもしれない。
まだ自立していないことの証しでもあろうねえ。

それに加えて、たぶん、今は母の日常生活が祖母の世話や父の都合中心になっていることが
見えるからなんだろう。
その、痛み。
他の家族もそのことで抱えているだろうはずの問題から、少し離れていることのうしろめたさの
ようなものがあるのだろう。

考え、感じることがまばらだけど――家が片付かないのは、そういう散漫な脳内環境のせいかもしれないなぁ。
いや、家を片付けたら脳もスッキリ考えがシャープになるかも。
自分改革しなくちゃね。

いらないものをちゃんと見分けて、捨てよう。

Posted by Karugo at August 25, 2006 09:37 PM
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