天国を見たことはない。(あたりまえだけど)
でも、先生は行っている。先に。
小さい頃から「教会学校の先生」として、校長先生であり――自分も教会学校で奉仕をする
ようになってからは、学びをしてくださって――同じ科で奉仕をする仲間となる機会を得た先生が、
亡くなった。
今日は前夜式だった(キリスト教式では通夜とは言わない)。
わたしが学生の時分には、沢登りの先頭をゆき、ハイキングなどをさくさくこなされていたし、
一緒に奉仕をするようになってからも、「歩くのが好きなんです」とよく歩いてお帰りになっていた。
なにより、本の虫。
たくさんの本の話を、うれしそうにしてくださったのが印象的で。
礼拝メッセージでも、普段の会話の中でも。
奉仕を退かれてから、そして数年前からは入院されていたので、お会いする機会もほとんどなかった。
だから……亡くなった先生の、元気だった頃のイメージしかない。
…………それでよいのかもしれない。
と、またそういうふうに言うのは、自分を納得させるためでもあろうが。
帰りがけに、飾られた写真数点を見た。
ご自宅での1枚をのぞいては、「わたしの知らない、若い頃の先生」の写真だったけれど――
先生の人生にまばゆさを感じる断片たちだった。
この世に、必要だった。
90歳。
たくさんの足あとを残している。
出口で、お久しぶりに奥様とお顔を合わせてご挨拶をして、「お元気ですか」と逆に声をかけられ、
ぽろろっとにじんできた。
涙は、突発的だ。
ただ、それでも、これで終わりではない。
そう。
「永眠」って言わないんだよね、「召天」。
終わりが続くのではない、区切りなんだ。
「死」を越えて。