December 05, 2006

前夜式で

天国を見たことはない。(あたりまえだけど)

でも、先生は行っている。先に。

小さい頃から「教会学校の先生」として、校長先生であり――自分も教会学校で奉仕をする
ようになってからは、学びをしてくださって――同じ科で奉仕をする仲間となる機会を得た先生が、
亡くなった。

今日は前夜式だった(キリスト教式では通夜とは言わない)。

わたしが学生の時分には、沢登りの先頭をゆき、ハイキングなどをさくさくこなされていたし、
一緒に奉仕をするようになってからも、「歩くのが好きなんです」とよく歩いてお帰りになっていた。
なにより、本の虫。
たくさんの本の話を、うれしそうにしてくださったのが印象的で。
礼拝メッセージでも、普段の会話の中でも。

奉仕を退かれてから、そして数年前からは入院されていたので、お会いする機会もほとんどなかった。

だから……亡くなった先生の、元気だった頃のイメージしかない。


…………それでよいのかもしれない。
と、またそういうふうに言うのは、自分を納得させるためでもあろうが。


帰りがけに、飾られた写真数点を見た。
ご自宅での1枚をのぞいては、「わたしの知らない、若い頃の先生」の写真だったけれど――
先生の人生にまばゆさを感じる断片たちだった。

この世に、必要だった。

90歳。
たくさんの足あとを残している。

出口で、お久しぶりに奥様とお顔を合わせてご挨拶をして、「お元気ですか」と逆に声をかけられ、
ぽろろっとにじんできた。

涙は、突発的だ。


ただ、それでも、これで終わりではない。
そう。
「永眠」って言わないんだよね、「召天」。
終わりが続くのではない、区切りなんだ。

「死」を越えて。


Posted by Karugo at December 5, 2006 10:43 PM
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