October 17, 2007

飢餓?

ニュースを見ていると、落ち着かなくなる。
幸せなニュースなんてほとんどなくて、どれも乱暴で、ヒートアップしたものばかり。
事件そのものの性質が、というだけのことじゃなくて、ニュースの伝え方も。
高温に達してすぐには「弱火」にできないような、そんな熱さ。

そんなにわたしたちは、飢えているのか?
血に飢えているのか?

そんなこともふと疑問に思ってしまうような――そんな「熱さ」を感じる。

批判や糾弾が、ものすごい勢いでなされ、食い散らかされ、しかし何事もなかったように
口をぬぐい、次の獲物に向かう。目を向けさせられている。
ふと立ち止まると、追いつけなくなるほどのスピードで。

取り残されはじめてきた今、疑問に思う。
果たして、今目にしている・耳にしているニュースは、自分の生活に必要な「情報」なのだろうか?

「警察はこういう対処をしておくべきだった」
「会社はこういうことを想定して、体制を整えておくべきだ」
「親がもっと○○すべきだ」
……
……
……
……
「~すべきだ」というものには、自分の意見とも合致することが多かったりして、なかなか
気づかなかったのかもしれない。
実は「べき論」のほうが、ニュース本編より情報量として多くなっている。
シンプルなニュース番組というのが、意外となくなってきている。

自分たちが立っているところが、いかに正しいか。
いかに狭き島に、正しく立っているか。
証明するように、繰り返し繰り返し――多くの、さまざまなコメンテーターによって
しかし、さまざまではなく、同じような語気で語られる。
そちらのウエイトのほうが大きくて、ニュースそのものを単純な「事柄」として
伝えられる力がなくなっている気がしてならない。
「次の生贄です」といって、新しいニュースが語られているような気がしてならない。

同じようなニュースを聞き、同じような論調のコメントを聞き、聞き続ける……。

結構しんどいのだと、最近感じている。
ニュースをみると、殺伐とした気分になる。

わたし自身が終末的なのか、世の中が終末的なのか。

ふと、秋晴れの朝に思う。

Posted by Karugo at October 17, 2007 12:44 PM
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