March 10, 2008

骨から

母が分骨して家に少し置いておきたいと言ったとき、わたしは母がしたいならそうすればいい、
と思ったので、反対はしなかった。
個人的には――骨にはもう何もないと感じていたのだけれど。

実際、雑貨屋で「いいのを見つけたの」といって買ってきた壷に少し移そうとして
骨壷を開けて中を見たとき――
「あぁ、やっぱりこれは抜け殻なんだ」
と思った。
人から見れば薄情といわれるかもしれないけど、
「ここのどこにも、お父さんはいないなぁ」。
火葬後の骨を見たときに、自分たちの手の届かないところにいったことを実感したのは、
間違いじゃない――と。

とくに、あのときには説明がなかった差し歯を見つけたときに。

人工のものは、残る。
いずれは朽ちて消えるのかもしれないけれども、本来の、人であるために構成されているものは、
やはり塵に帰るんだなぁ、って。

骨壷に意味がないとは思わない。

でも、そこにはいのちはもちろん、魂はなくて。
ただ『跡形』があるのだ、と思う。

骨を見てわたしもいつか、このようになる――と思ったら、ここに執着されることなく、
土に返してもらえばいい、と思った。


散骨は、もういいや。


……そのむかーし。
付き合う前の夫ぎみに、「わたしが死んだら、散骨係になってくれ」と頼んだことがあったが――
それはもはや不要の役割になった。

この世での命を終えたら、わたしはどのように葬られてもかまわない、って思う。
だから、大丈夫。


父は死んでなお、いろんなことを考えるチャンスをくれるなぁ。

大きなことも、小さなことも。

人が生きた証しは、そういうところにも、あるんだ。


今日は納骨式。
生きていれば、父の70回目のお誕生日のこの日に、お墓におさめた。

Work Hard! Play Hard!の銘を刻んだお墓に。


おとうさん、ほんとに、ありがとう。

Posted by Karugo at March 10, 2008 10:41 PM
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