官房長官ことみさおちゃんとの出会いは、2月のフォーラムがきっかけだった。
実行委員の一人、同期生のヌル参謀の、高校時代のご学友。
フリーアナウンサーをやっておられる。
たぶん、ほとんどの方が、彼女を「一児の母」とは見ないにちがいない。
ほっそりした体つき、センスのよい若々しいスタイル、きれいな目……。
おっと。
あえて断っておくが、「一児の母とは、ふくよかで、センスのない老けたスタイルで、
にごった目をしている」という偏見をもっているわけではないからね!
うーん、なんていうか――――生活感のなさ、がそういう表現になったかな。
たとえば、お子さんとの関係なんて、日記を見ているととても「対等」だ。
対等、なんて変な言い方だけど。
もちろん、「親子」なのだから、現実には対等ではありえないのだけれど、一対一の
人間として――家族として、彼女は子どもとの時間を過ごしているように見える。
ほんとうに、しっかりと。
あの忙しさの中で、スゴイと思う。
なのに、生活くさくない。
そして、それは「セレブ」というのとはちょっと違うのだ。
自分でも言っていたけれど、江戸っ子系なんだよね。意外と。
そうだなぁ………………「凛」、ということばがぴったりだ。
楚々としたはかなさをたたえながら、でも、背筋の伸びた居ずまいが、きりりと引き締まってうつくしい。
声もさすがアナウンサー、カッコイイのである。
少し鼻音がかって(かるごにはそう聴こえるのだが)、でも耳障りなどではなく、むしろ色気さえ感じる
声質が。
おまけに立ち居振る舞いも――あわてることのない手、という気がする。
無駄のない動きをするのだ、手が。
だから――と受けて続けていいのかどうか――柔肌見せられ「丁半賭けろ」といわれたら、ついつい
男気丸出しに応じてしまいそう。
イヨッ、みさお姐さん!って感じ。
自分で「美人未亡人」と言い放つところも、いいねえ…………。
自分の魅力を知っている人は、ちゃんと言えるのだ。
自分の魅力の使い方を知っている人は、ちゃんと言い放てるのだ。
「未亡人」。
そう。
「未亡人」なんだよ。そして間違いなく「美人」の。
彼女は、御夫君を亡くされている。
それは詳しくはかるごが話すことではないので――……以下、
をご紹介しておくにとどめよう。ぜひごらんあれ。
さて、みさおちゃんとは、直接学生時代を共有してはいないのだけれど(共有していたのは
あくまでヌル参謀なのだ)――同い年でもあり、ヌル参謀のおかげもあり、フォーラム以後、
かかわりがとても深くなってしまった。
ほんとうに、ありがとう!!
実行委員会の中では、しっかり「官房長官」という肩書きまで与えられ――その役にふさわしく
立派な働きを数々こなしてくださっている。
カラオケでは椅子の上に立って色っぽく歌い、参謀に女の「艶」を教えようとし、後進の育成にも
余念がない(しかし残念ながら、参謀にそれが伝授されたのを見たためしがないが)。
酔っ払いしゃちょーおよび渉外かるごまるの熱い?メチャクチャなトークに付き合い、参謀には的確に
指示を出し、酔っ払いの世話をまかせ、冷静に場をまとめる…………。
冷静沈着。
ではあるが、熾火(おきび)のような消えることのない熱い思いを――しゃちょーやかるごとは
またちょっと違う、「熱さ」を、持っている。
あの芯はなんだろう?
最近の知り合いなのに、すっかりなじんでしまったともいえるし(かるごが一方的に馴れ馴れしい
だけかもしれん)、でも、自分の友達にはいなかったようなタイプの方でもあるようにも思うし――。
まだ未知の部分がいっぱいなので、楽しみだよ。
けれども――生きていること、命に真剣であることが、なにより信頼するに足る要素であるのだ。
命に真剣であること。
はこの世を去った“あの人”の「生」のメッセージ――「生きたこと」の意義――をしっかり受け止め、
伝えようとしている。
間違いなく、彼女のチャームポイントは目だけれど、彼女のあの目を見たら、だれだって納得するだろう。
燃えるような意志、熱い思いが見えるから。
まだまだ、もっともっと、先へ。
官房長官なんて小さいフィールドではないところへ、飛び出していきそうだ。
がんばれ、みさお官房長官!!あなたには親衛隊がついている!
そして、しつこいようだが…………みさおちゃんは、お会いすればわかるだろうが、ほんとうに
いやみなく「美人未亡人」である。
出会えてうれしい。(美人だから、じゃないよ)
ヌル参謀、さすがだね!ほんとうにありがとう!
…………散漫なぶろぐ。
でも書いてみたかったのよ~~~。
ひとつの気がかりは、こんなまとめでゆるされるのだろうか?(^^;ってことだったりする……。
追記:そうそう、みさおちゃんは自分で「オヤジキラー」とも言っていたが、さもありなん。
かるごもかつてはオヤジキラーを自負していたのだが、どうやらカテゴリの違う「オヤジキラー」で
あったらしいことが最近わかってきたな……。
つまり、元来「オヤジキラー」はみさおちゃんのようなタイプのことを言うのであって、かるごは
世のオヤジ族にとっては「キラー」ではなく「仲間」だったのだなぁ……と今さら。
せんだって「男前」と言われたけれど、まぁなんでもいいや。
みさおちゃんのように、「色香」ある王道夫人じゃないからねえ。
おもや(母家)の閉店、ショックが大きい。
なんでだろうね。
シャムロックが閉店すると決まったときは、それなりの期間で前もって
ご挨拶のハガキがきて――事情もわかって、だったからかな?
もしかすると、閉店は前回行ったとき(5月12日?)のときには決めていたのかも
しれないけれど――まぁ、そんなことはどうでもいいや。
突如、あそこにおもやがなくなるということが、とにもかくにも、たとえようもない
喪失感なの。
……。
地下のこぢんまりしたスペースであったせいもあるんだろうなあ。
おいしいだけじゃなくて、ちがう時間があって、静かで――――。
なくなっちゃう。
クスン。。。
あとはたいらげてしまったので――写真なし。
まばゆいこのトマトサラダで我に返り、写真を突然撮ってみた次第。
きらめくトマトサラダ。
いつかまた、これに出会える日があるんでしょうか…………。
おもや。
愛すべき飲み食い処。。。。。

塩ラーメンに、ねぎ・もやし・煮タマゴのトッピング。
しらがねぎたーっぷり。
小口切りのねぎもたーっぷり。
もやしどっさり。
半熟煮卵。
なかなか麺に到達しないのだよ。ふふっ。
一度つきくずしちゃった状態で写真とってしまったから、
へしゃげちゃったけど。
でも、ひそんでいるチャーシューもうまいし♪
とても幸せになれる一杯だよ。

ちなみに、経堂店もありまする。
寝坊してみた!
本日は晴天なり。
ゆうべ彼の友達エノくんが遊びにきて(すんごい久しぶり!)、ごはん差し上げたり、
お菓子食べてもらったり(お菓子処分係なの)、ひとしきりしゃべったりしていたので
寝たのは朝の4時頃。
もっとも、かるごまるは、二人がウイニングイレブンやっている間、ちょいと椅子で
ウトウトもしたんだが……。
そして今朝8時前にめざめて気づいたこと。
目覚めたとき明るい、というのは、うれしいと同時に焦るのだよね。
寝過ごした!遅刻だ!弁当作れない!どうしようーーー!!――って思ってしまう。
「あ・今日休みだった……」と正気に返って、動悸を感じたことをちょっぴり後悔する。
損した気になるのね。
でも、また気を取り直して少し幸せになるんだけど――。
それでもって、この先変な曜日感覚になること間違いなし。
気をつけようっと。
平日休みって、うれしいけど、時々奇妙な弊害があるんだな~~。
わたしの字ははねているらしい。。。。筆跡が、なんかそうらしい。
躍動感?
楽しそう?
そうお?
ふだん書く字じゃなくて、掲示板に手書きしたやつだったんだけど……紙に書くやつは
そんなことはまったくなく。
キレイでも汚くもないけれど――強いていえば「雑」。
字は体を表す?
でも、はねて生きているから。
そういえば――はねて生きる、といえば……。
1億年後の世界では、かたつむりは砂漠をはねて歩くんだそうな?
TVかなんかでやったらしいね。
結構デカいらしくて、ネバネバが必要なくなるからはねて歩く――ってどんなかたつむりだ?
それはかたつむりなのか?
派遣Kさんに教えてもらって、つい検索してみてしまった。
ほう、未来図鑑なるものがあるのね。。。
http://www.blueorange.co.jp/books/edit/future.htm
おもしろそう。。。本屋でちょっと見てみたい気する。
そのかたつむり、デザートホッパーなどという名前までついているそうだ。
もはや「Snail」ではないのね。
ともあれ、はねて生きているらしい。。。かるごまる。
なんて幸せなんだろう♪
雨上がり、ちょっとの晴れ間に――ダブルレインボウ。
アイルランドみたいだぁ、と喜んでしまった一瞬だった。

あんまりよく見えないかとは思うが、目を凝らしてみてみてね。
こういうのを疲れた一日の最後に見られると、「ごほうび」って思ってしまうの。
なんか、うれしかったな。
最近、とみに思う。
そして昨日はまた、とくに。
自分にはいろいろ母譲りのものがあるけれど――掃除が苦手とか、ノウテンキとかいろいろ。
ほんとうに、尊敬するのはね、「受け入れて進む人」であること。
「進む」といっても、ものすごく勢いがあるわけでもない。
ただ「受け入れる」という、その強さなのだよね。
自分が落ち込んでも、何の役にも立たない(父のよく言うたとえをすれば「糞の役にも立たない」
になるのだろう)――から、すぱっと受け入れる。
それが、すごいと思う。
単純に、純粋に。
たしかに。
自分が心配したり悶々とすることで何か役に立つなら、何かが変わるなら、いくらでもするよね。
そうじゃないからね。
見習おう。
読みたいと思う本にもめぐりあえず――それよか、モンク警部シリーズの読み止しの
ペーパーバックをさっさと読み終えたいのだけれど、読めるだけがとりえだったはずの
英語もだんだん難しくなってきて読み止しのままだった。
本屋をなにげなくぶらついても、気になる本が少ない。
というより、いつも脅威である。
本、本、本、本の山!
こんなに世の中には出版物がある!
知らない作家さんも――もちろんいる。
毎回、本を探すたびに感じることを、常に感じてしまう。
活字離れだなんだと言われ、自分自身もこうやってネットに言葉を並べることが
ごくごくフツウになっている。
そこから読み物を探すこともフツウになっている。けど、それは「本」ではない。
繰り返し読むものは、あんまりない。
少なくともかるごは「紙媒体としての本」に価値を求める人間なのだな。
きのうは2冊買った。
ダヴィンチコードに傾倒させられたり影響されているわけではないが、うちの大学の先生が
書いたダヴィンチに関する本。正確なタイトル忘れちゃった。大学に忘れて帰ってきちゃったし。
文章の好みはあるにせよ、内容的にはおもしろい感じの本である。まだ途中だけど。
それから1年ぶりの新作か、クラークの文庫本『20年目のクラスメート』。これはきっと気楽に
読めるだろう。まだ持ち歩いているだけだけど。
そして、1冊借りた。しゃちょーから。
ちょっと恥ずかしいからタイトルは伏せておこう(笑)。
これは絶対自分じゃ買わない本だね。
しゃちょーもそうだと言っていたけれど――――。
ともかく、本にはいろんな種類があるね。
捨てられることが前提の雑誌みたいなものもあれば、半永久的な価値をつけて
置かれてある本もある。
いずれにせよ、イマジネーションやインスピレーションを喚起する「本」がかるごは
好きなのだ。
物語の世界へ没頭できることがゆるされるような、そんな力のある本が。

愛すべきふたごのいもーとちゃん、Nardyさんがお知らせくれた。
らでぃっしゅぼーやのおさかなソーセージ。
うーん。壮観。
パルシステムで、来週2パック頼んである……。
これも楽しみ。
かるごまるも、写真撮らなくちゃ。
わくわく。
いついただきにいこうかな~~~~♪
繊細じゃないです。
どっちかっつーとラフです。
繊細だと気遣ってくれる方々のほうが、ずっとずっと繊細です。
なにしろ怒りっぽく……短気です。
お怒り貯金で3万円ためたことがあるくらいです(今はやっていません)。
頑固で、すぐ熱く語ります。
だから(?)、大丈夫。
ありがとうございます。
応援してくれる仲間たちがいて、自分にも応援したい仲間たちがいれば、
大丈夫なんです。
どんなことでも、どんなときでも、だれだってそうかもしれないけれど――
かるごが必要である、とされることがうれしいです。
がんばりたい気持ちになれること、実際にがんばってよいことがうれしいのです。
そうしたら、あとはがんばるだけですから――だから、大丈夫ですから。
ありがとうございます。
※雨にふさわしくちょっとしみじみトーンで書いてみたかるごでした~。
派遣のKさんのお宅にあるさくらんぼから、おすそわけ。
枝がだいぶ張ったとかで、下の方のを払った分――みたい。
つややかな、ちびのさくらんぼの粒。
でも、かるごがいただいたのは、葉っぱに元気がなくて……クッタリ。
お水入れて挿してみたのだけれど、ダメだった。
回復せず。
さわると、ポロポロッとこぼれるし――そのたびごとに食べてしまっていたが、
午後はとうとう早く食べてしまえ状態だなと勝手に判断して、ぜんぶ平らげてしまった。
うん。
甘みはそんなにないけど、さわやかな酸味。
ちびっちゃいのに、ちゃんとさくらんぼの果肉だったよ。
ごちそうさま!

ちなみに、Kさんご自身の枝はシャンとしていたよ。(↓)

「悪口は陰で言われるもの」
……――。
ごくごくあたりまえのことだけど、それを大真面目に説かれたっけね。
自分もだれかによくないふうに言われている可能性があるってこと。
「ウラではなにを言われているか、わからない」
昔からその可能性がなかったわけじゃないし、「自分はだれの悪口も言わない」、
というわけじゃないから、えらそうなこと言えない――けれども、言った後は、
自分の心も落ち込むということ、自分で自分をおとしめる、というのはわかっている。
口にした瞬間、なんか汚れた感じがするのだよね。
そんなことの繰り返し。
自分にも不愉快と感じるひとたちがいるから、同じように相手が不愉快に思っていたとしても
不思議じゃない。
自分の物差しで測ってはいけないんだと思いながらも、そうしてしまっていることもある。
だから、なにか言われていたとしても、それは仕方がない。
でも、である。
友情を育むことが前提でないにしても、ほんとうは目の前で言ってもらってしまうほうが、
ずっと楽なことがあるから。
自分がだれにも愛されるキャラクターだとは、もとより思っていないし、いいひとぶって
いるつもりもない。
嫌われるよりは好かれるほうがいいに決まっているが、表面的にうまくいくよう努力する
よりは、相容れない存在であることを受け入れたい。
そうしたら、どんなことを言われても、感情的にならずにすむこともあるから。
不満に思っていることとか。
意見したいこととか。
間違っていることとか。
本人の知らないところででささやいているだけだったら、なにも変わらないでしょうが。
面と向かって言えないというのは、やっぱりどこか「妬み」みたいなゆがみがあるから
なのかなぁ?
――とすれば、醜いね。自分も気をつけなくちゃ。
とはいえ、最近になってようやく、面と向かって言えるというのは、信頼関係ができていて
初めて可能なこと、と実感している。
おかげさまで、自分は今すごく恵まれている。
そういう関係作りができるような仲間をふやしていきたい、と切に願っている今日この頃だよ。
…………ん?
最近ちょっとしみじみなのよ。。。。
忘れました。
かるごは携帯で時間を見る、という習慣がありません。
もちろん、腕時計も携帯もなくても、時間を知るのに困らないこのご時世ですが、
かるごは結構腕時計を見てしまうほうなのです。
だから、忘れてきたにもかかわらず、ついつい左手首を持ち上げて見てしまいます。
左手首になにも重みがないというのは、どうも居心地の悪いものです。
調子の悪いときには、重く感じられ――健康のバロメータにもなっているという
感じもあるのですが。
昔ほど執着していませんが、やっぱり腕時計は好きです。
忘れてくると、そんなことを思います。
まったくもって、例によって、どうでもいい話ですが。
不思議だなぁ、と思う。
中学生の頃は「死ぬこと」を身近に考えていたのに、いつのまにか、むしろ
「生きること」のほうに執着するようになってしまっている。
「生きること」の意味、中身が自分の中で変わっていったのだから当然だけど――。
生きることは大変なこと、という感覚はまったく変わらないのに、とても楽しくなって
きてしまった。
生きていることの喜び。
いつ終わりのときがくるかは、だれにもわからない。
ふたしかな未来ではあるけれど、確実に迎えることになるという確かな未来。
確実に近づいている――でも、今はこの道のりがとても楽しいし、うれしい。
この喜びを得るために「生かされてきた」のだろうね。
その生かされてある命を、もっともっと生かしたいと願ってしまう。
これからの10年は――って期間を限定しているわけじゃないけど――「命」と
向き合うことになるんだろうな。
もっともっと、深く。
ときには、つらい思いをしながら。
かるごって「仕事人間」か?
でも、男に生れていたら、そうだったかもなと思う。
そうそう、以前教会の仲間とメッセンジャーで話していたとき、
「わたしは男だったら、絶対に仕事人間だったよ!」と書いたら、
「それは良く分かる(笑)」って返事だった。
よくわかっちゃうんだ~と思って、またそのことにひとり笑っちゃったが。
もっとも、「仕事人間」なんて、男も女も関係ないことだよね。
……最近、一部周辺の知り合いたちが心配しているのは、それかも。
オヤジ化していく、って意味ではなくて、「仕事人間になってしまう」という危惧。
「無理していることに気付かず働いているのでは」とか、「仕事が趣味になって
しまうのでは」とか。
さすがに……どんなに鈍感でも、無理に気付かずってことはないんだけどね。
仕事が趣味っていうのも、ちょっと違うしね。
たしかに、今は仕事も楽しいものだ、などと思い始めてはいるが、かるごは
単純に人生そのものが楽しいので。
だから、もしも、今とは違う条件(たとえば性別)で生を受けていたらば、たしかに
「仕事人間」になっていたかもなーって思うだけなんだ。
あるいは、今の条件だからそう言えるのであって、もしも本当に男だったらば、
かえって「ぐうたらごくつぶし人生」になっていたかもしれない。。。。
となると、やはり「もしも」は「もしも」であって、可能性が無限に広がるものにすぎない。
想像するのは面白いけれどもね~。
なぜか、最近はやけに「男だったら」っていう「もしも」が多いんだよ。
それだけ。
突然、ふと気づいたのだけど、「大好き」って、意外と口にすることがないことばだ。
恋愛ではなくて、食べ物とか趣味とか嗜好ではなくて、友情の「大好き」――だよ。
人に好かれるって、幸せなこと。
だからといって、あらためて友達に言うのって、なんか気恥ずかしいかなぁ、という
感じがかるごにはある。
だから、言われることもちょっとこそばゆい。
だけど……なんでもそうだけど、言わなくても伝わるものでも、あらためて面と向かって
伝えられたら、やはりうれしいものだよね。
先日、久しぶりにそんなふうに言われることがあって、それがしかも「大好き」という
ことばだったものだから、ちょっとびっくりしてうろたえてしまった。
と、同時になんともうれしくなってしまったの。
「大好き」――かぁ。
最近友達に「大好き」って伝えたことがあったかなぁ?
おや。
かるごは、意外と「大好き」ということばは使わないでいるぞ。。。。
――などと思った次第。
大好きな、大事な仲間たちには、もっともっと「大好き」を伝えよう。
自分がもらってうれしかった「大好き」エネルギー、同じようにあげられたら
いいな、って思うから。
まずはここから――心当たりのあるみんな、受け取ってくれたまへ。
「ありがとう、大好きだよーー!!」
いよいよ本日、除幕式(?)です。
うふふふふ。
みよ! このつややかな表面!
まさしく「三笠の山にいでし月かも」!

そして……入刀。
ひとかけ切り分けて、夫ぎみにあげてみた。

断面もキレイ。
皮のきめこまかさがうかがえる。。。あんこのスッパリはなれた具合もすばらしい。
かるごも食べてみたよ・・・・・・。
あんこが上品。まめまめしさは少し薄い感じですが、豆粒はデカイほうだな。
詰まっているように見えて、案外軽い。
瑞紀さんの父上が、ひとりでかかえて食べるのもわかる気がする。
というわけで、皮のうつくしさを見ていただくべく、このようにはいでみた。

きれーい。
繊細な皮だのう……。

断面クローズアップ。
ライトが足りなくてあまりきれいじゃないけれど――うつくしいのうぅ。
甘さすっきり(体調によるかもしれないけれど)、皮はホットケーキじゃなくて。
あんなに大ぶりだけど、ほんとに「どらの皮」らしく――ふっくらしっとりだった。
ああ。
満足!
こんなにうつくしい後味のどらやきがあったとは!
あんこはもっと豆豆しくてもいいかなーと思ったりしたけど、それはかるごの好み。
あの大きさとあの皮にはあの上品さがベストマッチだぁ、と叫んじゃう。
瑞紀さん、ありがとう!!!
おいしかったよ~~~お心づくしに感謝。
そして、湖月の技に感謝!
ごちそうさまでした!!
さ・ちょびっとだけだけど、明日、派遣さんにおすそわけしてみようっと。。。@"
おそらく、1ヶ月1万円生活はできないような気がします。。。。
やる気になったらだれでもやるのかもしれないし、できるのかもしれない。
けど、別に贅沢しているわけじゃないけど――この食い意地では……。
ハハハハ。
4月分。
欠かさず押していたと思っていたが…………。
なぜか14日と21日だけ、抜けていた。
あとは全部ちゃんと押してあったのに。
思わず調べてしまった。
うん。
大丈夫、ちゃんと来ている――ってことで押印。
出勤簿は朝一番に押さないと絶対忘れる。
そして、月曜日からちゃんと押していた場合には、
押し忘れた金曜日は結構忘れ去られたままになる。
でも――。
14日は23:00まで働いた日。
21日は24:00まで働いた日。
まぁ、意識朦朧として週末を迎えて、スッキリ月曜日を迎えて、
抜け落ちたんだろうねえ。
ありがとう。
庶務課さま。
瑞紀さんからいただいた♪
えへへ~~~
奈良に行かれて、かるごまるのどら好きを覚えていてくださって、
おみやげにくださったの~~~~~きゃぁ。
そう!!
長年うわさに聞いていたところの、「湖月」のみかさ焼き。
ん~~~袋もすてきじゃなーい?


いただいたとき、お店(おりしもジャンボどらやきの「時屋」)で、袋からチラッとのぞかせて
いただいた瞬間、断面図のサンド具合がかわいらし~~~い♪♪♪
すてきすぎる。。。。
そして、袋からそうっと取り出したときの、その皮(どらと呼んでもよいくらいの大きさだが)の
なめらかな皮の表面。
焼きむらひとつないうつくしさ……。
いや・まだパッケージに入っているんだけどさ。
でも、そのすべらかな「肌」のような皮のすばらしさは、類を見ないよ!!
時屋のじゃんぼどらもびっくりさ。
というわけで、今日はまだパッケージのまま撮影会のみ。
食べるのは、まだちょい先。
わたしのちびすらりんがご報告申し上げます。

今日は実家に行ってきて、少しのんびりしてきた。
しばらく仕事がバタバタしていたせいもあって、ごぶさただった。
たまご切れになりつつあり、それもあって――。
お昼をごちそうになって、おしゃべりして……。
しかし。
つくづく親不孝者だな、わたし・・・・と反省する帰り道だった。
というのは、祖母が午後は皮膚科に行くというのがきっかけで――。
あちこち通院中なんだけれど、もはや自分の足でようよう外を歩けないので、
簡易車椅子で移動している。
今日の午前中も整形外科に行ってきたというのに、お昼をはさんで
また病院。
それを全部母一人でやってるのか――もちろん、実家にいる弟や、
妹がサポートしているのだけれど、日中は――と胸が痛んでしまった。
帰り、病院までの道のりは駅へ行く途中でもあったから、一緒に出る。
途中まで車椅子を押させてもらうけど――ほんとうに、「ことばがつまる」
ような思いに駆られてしまった。
風が強かったこともあるし、歩いているとあまり気にならないちょっとした
坂が、車椅子を押すとなると気を遣うものになること……車椅子の意外な
重さに母の疲れを思う。
別れた後に見送った二人の後姿に、とても痛んだ。
自分がなにも手伝っていないということもあるけれど――そのほかにも、
たとえば、今日実家に帰るときに乗ったバスも、お年寄りばかりだったこと。
帰りに途中から乗ったバスも、お年寄りばかりだったこと。
杖をついて、あるいは腰を落とした姿勢でゆっくり、駅前の病院に行き、
帰るひとたち。
乗りあう人も降り行く人も。
駅近くのバス停の前に並ぶ病院。
その往来は、お年寄り。
間違いなく、昼間の「地元の」時間は、多くはそういうひとたちのものなんだ。
山手線につめこまれているのは、シャンシャン元気なひとたちなんだなぁ。
かるごも、大学にいるとシャラシャラ元気な若者たちに囲まれているから、
ふだん見えていないものを、まざまざと見てきた感じだった。
胸に迫るもののある午後だったよ。
痛い。。。。
心から、母の健康を祈り願う――ココロも身体も。