みつけたもの。
「会社で働くなら知恵を出せ。知恵のないものは汗を出せ。
汗も出ないものは静かに去って行け。」
土光敏夫
ちなみに昨日見つけたのは、
「人間のエッセンスは願いと希望である」
ヒッペル
えっせんすだらけ~~~♪
http://www.ireland.com/newspaper/front/2006/0630/
明るい、楽しいページに変身していた。
かるごの、アイルランドへいく目的のひとつ――行くたびになにかひとつ、コレクションするというもの。
この遊びゴコロがとても好き。
取り扱う会社があったり、ネットでも買えるこのご時勢。
それなのに彼自身のページでのショッピングはできなかったし――こんなにいろいろ情報を
載せているページでもなかった。
でも。
でも。
彼自身のページでも、コレクションが買えるようになった。
なってしまった、とも思うけれど――でも、でも、なんである。
やっぱりウレシイ。
見ているだけでも、なんかウレシイ。
なにに惹かれるのだろう?
よくわからないけれど、ほんとうに、「楽しさ」なのだろうな~。
こういう仕事ができるって、すてきだなぁと思うのだ。
ダブリンのスタジオ。
楽しそうだなぁ。
同じような雰囲気を、アードマンスタジオ(ウォレスとグルミット製作チームね)
にも感じる――自由な創造欲の「ありさま」が見えるからかな?
あらためて、やっぱりステキと思ってしまった★
アイルランド、いかなくちゃ~~~♪
自分がひとより優れているという思いが、どうしても消えないひとはいるのだな。
自分の意見を絶対曲げないひとも、自分が最善を尽くすことによって、相手に
最善の結果がもたらされるはずと思っているひとも。
かるごは、頑固だ。気をつけよう。
たとえば、1万円そのものが「大金」だと思えるかどうかは、人によって違う。
かるごにとって、1万円はやっぱり大きい。
しかし、それと価格設定に対する意識は、必ずしも同じではない――。
1万円のプリッツは「高い」と思うだろうが、1万円のダイヤは「安い」と感じるに違いない。
でも人によっては1万円のダイヤより、1万円のプリッツに意味があるかもしれない。
1万円そのものの価値ではなく、代価として払われるものにそれだけの価値を認められるか
どうかだよな……。
だって、1万円そのものの価値自体は変わらない。
変わるのは、自分がその「商品」に対してもつ価値なんだよね。
「高い」とひとこと口にするのは簡単だけれど――「高い」と思わない1万円の商品と
「高い」と思ってしまう1万円の商品があることは間違えちゃいけないなって思う。
ま、お金がないときには、どんなものも「高く」見えてしまうってことなんだろうなあ。
「かるごさんを見ていると、human beingって感じがします。human だけじゃなくて、
あー、ほんとに、“being”って感じ」
きのう、派遣Kさんに言われたこと。
なんとなく伝わるかね?
かるごはなんとなーく彼女の言わんとしているところはわかったような気でいる。
勝手ながら、ほめことばとして受け止めて――自己愛に生きる天動説の女かるごまる@″は、
またまたちょっと自己分析(?)。
んー。
なんか熱いものをもっているから、らしい。
たしかに熱いかも――決してcool beautyの部類には入らないし。
おっと、そもそもbeautyなんて入れてはいけないか。
passionate……ともいえるけど、どうかな?
それはふさわしい形容詞か?
生きることにわくわく、というか楽しんでいて、それがオモテに出ているとは思う。
もちろん、それが“being”の定義だというわけではないのだけれども。
ま・以前も書いたけど、「はねて生きている」ように見える、そういう躍動感ある人生で
あるならば本望だな。
またそう見られているのなら、うれしい。
この世的にはなにも、大々的な成功や貢献はしていないけれども――ごくごく基本的な
ところ、「生きる」ことの喜びは味わい続けるだろうという自信があるからね~。
そんな“human beingかるご@″”なのであった♪
そして、さきほど――「一生ing(アイエヌジー)でいてください」と言われたよ。
いいことばだ。
何事も、楽しい・うれしい・よいことは「一生ing(アイエヌジー)」でいこう!
雨の中。
雨が当たってさらさらいう木陰の前に立ちつくすこと。
青空の下。
風渡る草っ原の中で、風を見送りながら立ちつくすこと。
曇天の下。
うすぼんやりした自分の影を探しながら、だぁれもいない車道の真ん中を自転車で走ること。
雪の中。
明け方、一番乗りで雪の上に仰向けに倒れてみて、降ってくる雪を見上げること。
経験したことがあるものもないものも、いつか、かるごわーるどの中で「現実」に変えて
みたいと思っているのだよ。
ふふふっ、、、どういう形で登場するかな・・・?
そんな日がくるんだろうか。
ふと、いつも耐えているひとの姿を見ると、思う。
耐えていること重みが、自分に課せられた試練だと受け入れるには、
大きすぎるときもあるだろうに、って。
といって、相手の不幸を望むわけではない。
耐えた先に、うれしいこと・喜ばしいことがなにかひとつ、あることを願う。
たとえ、溜飲が下がらなくても。
最近、しゃちょーのスゴさはやはり「ぷりてぃオヤヂ」である!、というところに
集約されていると実感することになっている。。。。
part2掲載についてもご本人リクエストが強いというところが、またオヤヂちっくでよい。
というわけで、いきなり回想から始める――。
4月28日が、社長ことしゃちょーとの初サシ飲みだった。
オヤジ系な女二人、「やくも」で。
お互いのペースで飛露喜(ひろき)をカプカプ飲んでいた。
これ自体がおかしいかもしれないね。
互いに手酌、たまに「まぁまぁまぁまぁ」と酌をしあう。
ふと思った。
飲む相手がだれ(性別不問)であれ、こんなふうに飲むのはオヤジっぽいのでは?
互いに互いをたたえあい、出会いを振り返り、喜びを分かち合う――酔っ払いのよいところは、
うれしい話は何度でもしちゃうこと。
悪い酔っ払いは、うれしくないことも何度も話しちゃうでしょ。
で・われわれは今のところ、まったく持って愚痴りあう共通項などなーんもないので、いつも
うれしいことしか共有していない。
なので、おめでたくも、その場にいない参謀やら会長やら農場長やら官房やらを褒めちぎり、
感謝し、笑いいっぱいのゆうべを過ごすことになる。
どうだね?
オヤジといわれても、当然ではなかろうか?
蕎麦屋で幸せいっぱいの笑顔で、サシ飲み。
しかも、店を出た後は話題にのぼった「彼女たち」に電話なんぞをいれてみたりしちゃう――。
んでもってうまく通話できたあかつきにはこんな調子。
「今ね、渉外と飲んでたんだ~~~。それで電話しただけ。それだけ」
……これをオヤジ絡みトークといわずして何と言おう?
ハイ。
オヤジ道、いっちゃってます、まっしぐら。
その後…………なぜかカラオケ。
はっきしいって、かるごが「まだ」オヤジじゃない!と主張するのは、ここにある。
かるご、別にカラオケ趣味じゃないんだもん。
カラオケ、それも二人でなんて――歌っている間に歌を決めねばいかんじゃないか。
大変だよなぁ。。。
でも、しゃちょーが倍歌ってくれるはず!と信じ込み、従う。
というわけで、半地元であるにもかかわらず、どこにカラオケ屋があるのかまったくわからん
かるご。
――あった。
結局、しゃちょーが見つけた。
さすが、野生のカン。
ここにもオヤヂならではの「根拠のない目的地をかぎわける力」の片鱗を見る。
初めて知った。こんなとこ、カラオケあったんだぁ。
初めて。
そう。
初めてだから、会員制だなんてエレベーターで上がって初めて知った。
というわけで、
「調布は渉外の地元だから~~~」
……会員カード、作ったよ。
まさか自分がカラオケ屋で会員になるとは思わなかったよ。
そういや、こんなことはまだあったよ。
以前、フォーラム実行委員会反省会および打ち上げ会のあと、天王洲→大崎カラオケのときは
「参謀の地元だから~~~」
と、参謀が会員カードを作ったんだよ。
また、その後の4月、同窓会総会・ホームカミングデー後のおつかれさん会では、経堂カラオケ……。
「参謀!」
と声をかけて、またまた参謀が会員カードを作ったんだよね…………。
では――参謀のいないこの夜、かるご以外のほかにだれがカードを作る?
だれもいないよね。素直に、かるごも従ったよ。
そしたら、ホラ。やっぱり。
明るく笑顔で、「まぁまぁ悪いようにはしないから」的な笑顔で、うれしそう。。。いいねえ、この
ストレートな感じ。気持ちがいいよ。
と。まぁ、こんな感じでサシ飲みサシ歌のゆうべ――であったのだが、この日かるごは
しゃちょーに比べたらまだオヤヂじゃないと思ったので、「オヤヂ」
定冠詞はまだご辞退させていただくことを決意した。
とはいえ、「オヤヂ」は決して世間一般で言うようなネガティブな空気で使っているわけではないのだよ。
どんな「人種」にだって、ネガティブな意味はある。
でも「ぷりてぃオヤヂ」にはないんだよ。そんなネガティブなものは。
しゃちょーは、まさにその「ぷりてぃオヤヂ」なんである。
培われてきたオヤヂギャグセンスも、オヤヂ飲みも、オヤヂトークも、信頼された相手と交わせるもの。
愉快な仲間のみんなで会っているとき、あるいはサシで会っているとき、それは実感する。
大好きな仲間と、ニッカリ笑顔でいつづけたいだけ。
みんなと毎日毎時間を分かち合いたいだけ。
だから、時に道化て、時に甘えて、時に…………酩酊する、のだ。
オヤヂらしさとかわいらしさと同居し得てるのは、女性だから――かもしれない。
「ぷりてぃオヤヂ」の「ぷりてぃオヤヂ」たるゆえんなのだろう。
だってね……ほんと、かわいいなぁ、って思うことがあるんだよ。
あれだけ普段サックリサクサク仕事をして、ドライなことを笑顔で申し渡して、でも、気を許しあう
仲間とは、ニヘニヘ笑って七福神みたいになって。
うれしいなぁって思う。
こんなふうに、ココロを開いてくれるなんて――って。
ということで、最後に。
さぁ、みんなもしゃちょーの姿を見て、自分がどのくらいオヤジ度に入っているか、点検してみよう。
――オヤヂギャグ連発しつつ、サクサク熱く語り合って飲みまくる。
――飲み屋で一人飲みの経験がある。
――サシで飲んでもなんでも手酌が多い。しかし、「女子」に酌されるとまんざらでもない。
――熱く語って「激しい同意」が得られると、握手したがる or 肩を組みたがる。
――話題になった「女子」に、飲み屋から or 飲み屋を出てから電話をかける。
――「次のときに払って or おごってくれればいいから」とかナントカ言って先に会計を済ませている。
――タクシーに乗せて送り出すとき、“札をたたんで”手渡そうとする。
さぁ、どうかねえ? しゃちょー。ココロあたりあるでしょ?(^^)
ちなみに、かるごがまだオヤヂじゃない、というのは「オヤヂギャクが連発できない」
ということと、「女子」でもだれでも酌されなくてかまわない派、そして、激しい共感のもと握手等をする
ということがない……ってところかなぁ。
あとはあんまりおごるチャンスをもたないということと、“札をたたんで”は渡さない、っていうところ。
たいした違いがない、微々たる違いだと言われそうだが、きっぱり!違うのだよ。
残念ながら、オヤヂ道は意外と深かった。
先週金曜日、ホンモノオヤヂ一人をまじえて飲んで語って歌ったときに、つくづく思った。
かるごはまだまだ見習い程度であった。
決定的な物差しというのが、最後の項目なのだ。(エ?それなの?って言われそう)
そう、“札をたたんで”(握らせて)渡す……という行動パターン。
あああ、二人ともおんなじだぁぁぁ!
かるごは、以前同方向の友人(女性)とタクシーで帰って、先に下りるときに、やっぱりお札を
「いいからいいから」と渡したけれど、たたまなかったんだよね。。。。
嗚呼、たたむべきだった。
しゃちょーはじめ、先輩オヤヂたちから学んだ。
というわけで、上記のように自己評価・自己点検項目をまとめるに至ったのだ。
ありがとう、しゃちょー。
あなたの笑顔と背中を見て(それを同時に見ることはピカソ以外に可能にしてくれないだろうが)、
かるごもがんばるよ。
いつか、ぷりてぃオヤヂになるんだろう。
それまでは、「男前」で修行いたす所存――――。
※なんだかほめてるんだかなんだかわからないようなエントリーになったけれど、ココロあたりを
おさえたつもり。
あれ? ダメ?だめ?ダメ?
かるご、オヤヂ度判定ができるようになったかも。
というか、自己評価・自己点検ていうの?
ま・・詳しく(?)は、次回エントリーで語ることにしよう。。。。
※次回エントリー予告:「社長と私part2(ぷりてぃオヤヂと私)」
タマゴが先か、ニワトリが先かという論争が決着したとか。
イングランドのセンセイ方がおっしゃったそうな。
結論はタマゴが先、だってね?
動物として完成された遺伝子が変化するとは考えにくいのに比べ、
タマゴはその成長過程で変化する可能性があるから……って
ひらたく言うとそんなことだったと思う。
ほう。
でもさ、、、、この結論からいうと、ニワトリという完成形ができるのは
タマゴが先、であろうけれども…………。
タマゴの親は、「前ニワトリ種」だった可能性があるわけだよね?
「前ニワトリ種」のタマゴの親は、さらにそのもっと前のタイプのニワトリ…………。
うーんと??
タマゴがいかように変化するとしても、そのタマゴがどこから来たのか、は
やっぱりわからないと思うんだけど????
そんなことないかな?――――かるごがバカなのかも????
ま・かるごにとっては、おいしくタマゴが食べられたらそれでよかったりもするのだが!
2006年6月3日――ハイ、かるごのお誕生日でした。
ほうぼうから、かるごのように不義理な人間に対して、たくさんの「オメデトウ」を
いただきました。
ほんとうに、ほんとうに感謝いたします。
いくつになっても、お祝いしてくださる仲間がいるっていうことが、ほんとうになにより
ありがたいことです。
出会ってくださって、ありがとう!
そう、37年目。
自分が小さな頃に考えていた37歳って、こんなか?!って笑ってしまうくらい、
幼くて自由だけれど――――奇妙に自信もって「幸せな人生です!」と叫べる
年のとり方をしてきています。
40に近いってことを考えると、すごく複雑な気分ですけれども、憧れられる37歳で
あろうと思います!
――そして、この日、とても楽しいお祝いをいただきました。
フォーラム実行委員会の仲間、我らがボス「しゃちょー」どのが、共に出席を決めて
いた「恵泉銀座センターオープニング」のあと、誕生日ランチを、と誘ってくださって
いたのです。
別に誕生日ランチでなくても、お食事を一緒にできることは十分楽しみだったのに、
な・なーーーーんと!!!
案内されたイタリアンレストランには、すでに美人未亡人みさおちゃんが!!
神戸に行っているというふーちゃんはさすがに欠席でしたけれども、もうびっくり!
隠しだまに、遅れて見習いちっひーまでが登場!
イヤハヤ、びっくりでした。
「まだオヤヂじゃない」かるごではあったけれど、両手に花(除くしゃちょー)は、なんと
うれしいものでしょう。
いや、そうじゃなくって、世間一般休日、土曜日の昼間、それぞれご予定もあるでしょうに、
(おまけにしゃちょーなんて、そのあと北海道に日帰り出張だったのに)お忙しいでしょうに、
こちらの都合に合わせていらしてくださるなんて!
びっくりでした。
そして、さらにびっくりはギフトまでいただいてしまったということ!

これは、いーのしゃちょー、参謀ふーちゃん、官房みさおちゃんからのチョイス。(↑)
以前、まやこ先生からいただいたのと同じやつだ~~~わーい。
この丸みと点目に弱いのですよ~~~~♪
たくさん集めたい~~と思っていたので、すごくうれしい♪♪♪♪♪

これは見習いちっひーのチョイス。(↑)
ホバークラフトなみの足が、肩をもんでくれるというカエルちゃんと――なぜか「着用上の注意」
というカードがついている、ビーズかえるの小銭入れ。
おもしろーい♪かわいー♪
ほんとうにありがとーーーございます!!
また、カードまで。

王冠かえるのカードは、しゃちょーと官房。
クローバーのカードは、参謀。なんと音声メッセージが吹き込まれているという――すてきな趣向。
本人はいないのだけれども、こんな形でヴォイスメッセージをいだいてしまいました♪
ありがとう!
締めのドルチェは、なんと!なんと!

みんなと同じドルチェだけど、お名前入りよん♪
そしてこちら(↓)は、「バースデーケーキ」だって。4等分していただきました♪

わーい、ごちそうさまでした~~~♪
ほんとうに、ありがとうございました♪♪♪♪
身に余るお祝いでしたけれども、心底うれしかったです。
ほかにも、たくさんのメッセージをいただきました。
グリーティングカードを送っていただいたり、思いもかけない方が覚えていてくださって
メールくださったり…………。
誕生日を覚えられない不義理なかるごまるのくせに、幸せすぎますね。。
ちなみに、夫ぎみからはワインとミニバラの花束をいただきました。
んでもって、かるごまるのわがままでモスバーガー。(変?)
夫ぎみは、アボカド山葵の匠味を食べてたよ。
かるごリクエストのレタス匠味は品切れでダメだったけれど――。
ちゃんちゃん。
でも、これはこれで、とても楽しい時間だったから(4日目のバイトくんをココロから
応援しています)――生誕祭の締めくくりにはぴったりでした♪
みなさまがた、ほんとうに、ありがとうございます。
この世に生まれてきて、ほんとうによかったデス!
神様ありがとう!――――ってクリスチャンらしくまとめておこう♪
飲み食いはいつもどおり楽しく――そして終わったのだけれど、これらがもう
食べられないのかと思うと、悲しい。。。。。
絶対に絶対に、再開してほしいと願っているよ~~~、店長!
連絡いただけることを待っておりまする。(^^*)。
*あとのほうの小さめの写真は、弟の携帯カメラで撮ったもの。






