今日でジュニアチャーチでの最後の日曜日。
これといって感慨深いことは、もはやない。先週、すべてひとくぎりついた気がするから。
いや。
気持ちの上ではもっと前に区切れていたんだ、実は。
モーセはモアブの平野からネボ山、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。
主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた。(略)
「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。
わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行く
ことはできない。」 (申命記34:1、4)
この箇所は、数年前からアタマの中にこびりついていて――もちろん自分をモーセになぞらえるのは、
おこがましいというか変な話かもしれないのだけれど、ずっとそういった場面に備えていくのだと思う
ようになっていた。
自分にとって約束の地とはなにか、というと、それはもう長年かかわってきた「ジュニアチャーチ」の
一つの結実、なんだ。
中学生だけの礼拝単位だった時代から、中学生と高校生がひとつの礼拝を守るようになり、
子どもたちが教会の中ではこういうふうに育っていってほしい、と願いながら続いてきたこの15年。
正直言ってしんどかったこともある。
スタッフも毎年微妙な入れ替えがあり、当然子どもたちは一学年ずつ入れ替わっていく。
いいときもあれば、苦しいだけの年もあった。
かるご自身、自分の夢に専心したい思いがあって、どうして自分にはそれができないのかと悩んだ
時期も、もちろんあった。
でも、15年のはじめの時期に、スタッフとの絆や奉仕する喜びを経験していたからこそ、苦痛の時期を
迎えたとき、あえぎながらも乗り越えることができたのだとも思う。
それに、毎年毎年――自分の思い入れとは関係なく――中高生たちから受ける恵みのごほうびという
ものが、必ずあった。
学ばされることは、どんなときでも、どんな場面にも、あった。
そのおかげで、どんな変化の中にあってもやっていけたのだろう。
今年度の「ジュニアチャーチ」はひとつの新しい風が吹いて、その中で動いてきたのだけれど、
そこでかるごができることはほんとうにたいしてなかった。
「だから、去る」――ではなく、「だから、去ってよい」と感じられた。
今年度の「結実」は、子どもたちが自主的に考え、動いたこと――計画し、実行したこと。
そのチームワークを支えたのは、ほかでもない、今年初めて入ったスタッフたちがささげた
時間。
彼らがやりたいこと、願って信じて行動し、そして子どもたちを育て応援してきたことは、
賛美をする喜びを与え、他人に感謝できる心を育てていた。
もちろん、祈ることや教会の仲間と過ごすことの意味を感じ、神に感謝することも忘れず。
それでも、来週からまた一新されて、新しいジュニアチャーチが1からスタートになる。
二度とは同じことは起きない。
今年の恵みは今年のもの。
今年、神さまにささげられた感謝は、今年のもの。
だからといって、まったくもってゼロになるのではない。
あくまで、「1から」。
「在るところから始まる」。
ささげられるものは、すべてささげられて手元には残らないかもしれないけれど、記憶は残る。
来年度も残るスタッフの中には、確実に喜びという貯金があるので――きっとまた
新しい環境の中で、新しいチャレンジをしていけると思う。
信じているよ!
また新しいジュニアチャーチになっていってほしいな。
かるごが15年かけて少しずつ刻み付けられて学んできたこと……。
信頼――仲間。
責任――自分。
感謝――神様。
遅々として、そしてもちろんまだ完成しているわけじゃないけれど、同じテーマをもって
かるごはかるごで次の場所へ向かうことにする。
いってきます!

出勤時に撮った。
朝だから長い影……。
なんとなーく、人の心のありようを感じ、物思うことの多い日々である。
あっという間に、午後。
外へ出たら影も短くなっていることだろう。
日本人的かるごは、結構“判官びいき”でああり――おせっかいでもある。
というわけで、応援歌をおくりたい人たちが何人かいる。
かるごごときのエールがなにになろうか?
でも、それでも。
チャレンジしつづけるひとであってほしい。
自分の願うところを。
信じるところを。
時に孤独――泣きたくなるくらい、仲間がいないと感じるかもしれないけど、
必ずいる。
あらわれる。
信じられる仲間、自分自身を信じられる仲間が。
今日はふとそう思った。
空を見ながら。
生きよう、人生!!