連鎖というのか、影響というのか――単純にいえば、「習い性」なんだろう。
人はしてもらったことをするように、
されたことをするように、
する。
それは、案外無意識のうちに――徐々に徐々に、そうなっていくようだね。
話を聞いてもらえた人は聞ける人に、聞いてもらえない人は、聞けない人に――というふうに。
自分は大丈夫かな?
人の話を聞ける人でありたい。
そんなひとこまから、ふと実感したことだった。
自分の心がむなしく割れてしまいそうになるときでさえ、 ちゃんと注がれるものがある。
分かれ分かれになりそうだったココロが、すんでのところでつなぎとめられることがある。
どんなギリギリで最後かと思いこんだ瞬間に、勇気づけられることもある。
今日はたくさん、「ありがとう」をもらった。
それは背景のある、配慮のある「ありがとう」だと感じたのだけれど――心がない儀礼的な、
という意味ではなく―― いやいや、わたしのほうが「ありがとう」だった。
「ありがとう」にこめられる思いは、伝わる。
自然と。
心の弱さ、小ささ。身勝手な自己中心的な思い。傲慢。
気づかされて嫌悪感に苛まれ、悪循環に陥りそうな危険性を感じていた今日、
なおそのときにあらたな喜びに気づかされ、促され前に向き直れるチャンスがあると
教えられた。
不思議。
それこそまさに、わたしは一人で生きているのではないことの証明なのだろうな。
ほんとうに、ありがとう。
「ありがとう」をもらうことで、もらったチャンス。
自分から変わっていこう。