January 30, 2008

"見事な死"

「文藝春秋」2月号を、ようやく開いている。


その特集を読もうと思って買ったのに、開ききれずにいた。


みな、それぞれに受け止め、乗り越え、みているのだと、知る。

でも。

やっぱり痛い気がする。


Posted by Karugo at 08:44 AM | Comments (0)

January 08, 2008

残念でした……

新風舎、事実上の倒産というニュースに、残念な気持ち。。

最初の1冊目『アイルランドのかけら』はここで出しました――。
こんなニュースで自分とかかわりのあった出版社名を見るのは、なんともさびしいものです。


昨年出版なさった著者の方々からの訴えが引き金のようですが……それはそれでちょっとだけ
疑問。

著者の方々は過剰な期待をしてはいなかったのかな?などと感じるところもあります。
きちんと説明を受けたり、確認したりしなかったんでしょうか。。。

テレビの会見を見ると、「あたかも全国の書店に並ぶかのような」「夢がふくらむような」
営業トークがあったとのことで――。
「言ってたこととやってることが違う!」と詐欺商法として訴えを起こされてしまうほど、
だったんでしょうか。

たしかに、わたしも自分の夢をふくらませて本を出します。
期待もします。
自分では「いい本だ」と思って出します。
いくら共同出版で自己負担額があるから自己満足で終わってもよいのでは、などとは考えません。
でも、出版社が必ず同じ価値をもって働いてくれるかどうかについては、別です。

それでもなお、言ったことと違うじゃないか!という思いのほうが、著者の側に大きかったという
ことなのでしょうね。。。。
残念です。

ただ――自信のないものを出しはしませんが、それを他人が「自己満足」と評することも
当然あるわけです。
無名有名にかかわず著者がどれだけ自信を持って世に送ろうとも、その価値が認められない
ことだってあります。

とくに自分が憧れること――たとえばベストセラーになる、本屋で平積みにされる――が、
そんなに簡単に手が届くものとは考えられません。

 いい本と売れる本は必ずしも一致しない。
 でも、売れる本には必ず理由がある。
 ――自分の「売ってほしい」「並べてほしい」と願う書店が、自分の本を「売れる」「並べたい」本
 として認めてくれるかどうか、それはわからない。

大事なのは、作りたい思いを汲み取って一緒に作ってくれる出版社かどうか。
出版してその本(著者)にとって最善最高の結果を生み出そうとしてくれているかどうか。
それを見極めるのも自分の力……。

きっと新風舎だって、もとは「その一冊を全力を尽くして世に送り出す」――という気持ちで始めていた
はずだと思うのです。
現場で働く、本作りにかかわる人たちは、決して著者の思いをないがしろにするような人たちでは
ない――と信じたいのです。

だから、ちょっと残念です。。。。

本を出すことのほんとうの意味や目的を共有できる会社は、たくさんあると信じたいです。
一方的な「夢の実現」ではなく、つまり単なる役割分担によって夢の実現をめざすのではなく、
ひとつの夢の実現のために共同作業できる会社が。

わたしもまだ、たとえ頼まれなくても自分の本を世に出し続けていきたいと願っているので、
出していきます。
文句なく「うちからあなたの本を出したいのです!」と心から言ってもらえるようになる日をこそ、
夢見て!

Posted by Karugo at 12:36 PM | Comments (0)

January 04, 2008

Step Up

今年の目標は――何度も書いている気がするが――Step Up。
再生(Replay, Revival, Restart)を果たした2007年から、単純な繰り返しではなく次に進むこと!

いつだってなんだって、現状維持なんてことを言わない限り、それは当然の目標となるはず
なのだけど、意識的に自分のニガテなことに取り組んだり、乗り越えて成長したいから、あえて。
横文字はいやだったんだけど、これにあてはまる――しっくりくる日本語が思いつかないからなぁ。


去年は2月にアイルランドに行って、ものすごく「リフレッシュ」されて、滞在時間の長短では
ないことを実感したんだ。(Nardyさんのお誘いのおかげだよ!)
それが「Ireland photologue おかえり」の本という成果に結びついたわけだ。
これは、何にせよ続けていかなくちゃいけないと思う。
エネルギー補給と、それを別のエネルギーとして世に放つこと。

また、父を亡くしたことで、その存在感や、消えることのない罪の意識や、命のあり方など
いろんなことを感じることになって――悲しみや苦しみは、それでも支えられたり、慰められる
機会をいただいたりして、自分は見捨てられた存在ではない、与えられた生をまっとうしなくては
いけないひとりであることをもつくづく感じた。
できることは、やらなくちゃいけない。
やらなくちゃいけないことが、ある。

だから、かもしれないけれど、今年度奉仕することになった小5・6年での月1回礼拝メッセージ担当は、
準備することと語ることで、すごい恵まれた。
メッセージ者が自分で「恵まれた」などと言うのも変な話かもしれないのだが、知識の乏しい中で、
夫ぎみが先生たちのために作った教案ベースを使って、かるごなりに真意を探ってみた。
子どもたちに伝えようという気持ちと、祈りとみことばで準備する過程、そして良しとされて語ることが
でき、祈りで結べる、というひとつの完成形(っていうと大層ですが)を教えてもらった。
ありがたいことである。
ひとつにはわたしのための、奉仕でもあったのだな~と思う。

そうそう、夫ぎみに頼まれたメッセージ挿絵製作も、また勉強になることが多かった。
自分の描きたいものと描くべきものはちがう。
相手の望むものを描く楽しさ、難しさをあらためて感じた。
それがうまく合致したときの喜びは、それだからこそ、大きいのだろうな。

まさしく、「おかえり」の本作りのときと同じで――自分の思いだけで突っ走って作ることもできる
のだろうけれど、そうしなかったことと同じ。
読み手をより意識したり、見せ方を工夫することで自分の思いをより効果的に表せたり、そういう
ことの提言を出版社さんからも、デザイナーさんからもいただいて出来上がりを迎えられたときの
達成感、充実感ははじめての体験だったから。

職場の中で真剣にその未来を考え、そのために働く姿勢には変わりはないけれど、それとは別に、
自分の賜物は、やっぱりことばとか写真とか、そういうものを通しての「表現」なのだということを
実感できたし。

無理はキライ、努力もニガテ、元来怠け者かるごにとって、“Step Up”なんてテーマは、実は
結構キツイんじゃないかと想像するけど――成長痛は続くのだと思って、がんばろう。
土台が(この年になってようやく!)できたのだと実感できたところで♪

生きている限りは行くべきところをめざして、前進して成長し続けていかなくちゃいけないという、
使命感みたいなものさえ感じている2008年。
いよいよ、ますます、かるごらしく生きていこうではないか~~~~。

……心ひそかな小さな棘は、最後まで忘れることなく大事に持ちつつ。

真意、奥義はわたしに向けてではないから、都合よく受け止めているわけでもない――が、
それでも、あの日の朝頭をめぐったこの聖句を、忘れずに、ね。

あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。
 あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。
                       ――ダニエル12:13(新改訳)

※つぶやきに書いた断片を集めてみた感じの記事になったなあ……ま・いっか!!!

Posted by Karugo at 12:38 PM | Comments (0)