台ふきんで机を拭きながら、哀しくなってきた。
なんでこんなに茶碗染みがあるんだろう。
なんでこんなに切りくず、消しゴムかすが残っているんだろう。
これは、今日片付けなかったら、だれが・いつきれいにするものだったんだろう。
いや、そうだ。
月曜の朝のお仕事かもしれない。
たまたま今日見つけてしまっただけかもしれないが……。
かもしれないが……。
しれないが……。
あ~~・・・・。
かるごのイケナイのは、自分ちは散らかり放題なくせに、職場の公共スペースは
散らかっていると気になる――というところだな。
いかんいかん。
どのせいなのか――アタマが痛い。
この重苦しいモヤモヤ感はなんであろうか。
天気に影響を受けて滅入っているのか、換気の悪い事務室の生なのか、
それともカルシウム不足でカリカリしてしまったからなのか。
なんであろうか?
人と人は、向き合って話す。
その距離が近いときもあれば、限りなく離れているときもある。
声が届くこともあれば、届かないときもある。
相手の気持ちになる――ということを、最近忘れていたかもしれない。
少し突っ走りすぎたか。
かたつむり時間に戻ろう。
本屋で酔うというのは、どういうことだ。
とある新刊本を手に取ろうと、その帯を見ていたら気持ち悪くなってしまい、吐き気が。
残念なことに、本はおもしろそうなのに――その帯が楽しみを半減させてしまった。
そして、そんな本が多いことに気付いたら、気持ち悪くなってしまって。
帯、好きなんだけどなぁ。
デザイン性がないもの。
キャッチーじゃないもの。
いずれも、自分の好みかどうかってことに過ぎない話なのだけれど――
ちょっとがっかりするものが多くて、手にとった瞬間急激につまらない本になって
しまったように思う。
それで気持ち悪くなってしまった。
本屋で気持ち悪くなるなんてこと、めったにあるもんじゃない。
自分が今すごく低調だから、それだけによけいにうつくしいものに触れたいのに。
うつくしいことばに出会いたいのに。
食傷みたいな気持ちになりながら、ひととおり眺めてみた。
帯によって本自体の魅力が、すごくチープなものになりさがる可能性があるんだと再認識。
うーん。
申し訳ない。著者のみなさま。
でも、ことばも消費社会になっていて、良質なものもあるだろうけれど、活字である必要の
ないものもたくさん出回っている、と思わされてしまった。
ああ。
気持ち悪い。
しかしながら、「読みたい本が見つからない」――という、これは本屋のつくりの責任もある。
天井の高さ、子ども本の店頭ディスプレイは、悪くないのに――なにかが違う。
見つけやすさ、見つける楽しみが足りないんだなあ、きっと。
分かりやすくなくてもいいんだけど、お・こんなところでめっけもん、という楽しみが少ない。
きっと、読みたいと思えるものがあるだろうに――見つかるようにはできあがっていない。
ひとり、不器用そうな、でも大事にしておられるだろうと思う年のいった店員さんがいるの
だけど。
そのひとが全部をしきってくれていたらいいのになあ。
もちろん、そのひとの能力なんてなにも知らないけれど、そのひとが一冊の本を直している
様子を見てから、そう勝手に思い込んでいる。
きっと「本」という文化を大事にしているはずだって。
でも、地道に期待はしておこう。
10%引きしてもらえる学内三省堂ではなく、「ここで見つけて今すぐ買って読みたい!」と
思える本に出会える場所になってくれるように、と。
読書が、したい。
うつくしいことばを見たい。
うつくしい世界をのぞきたい。